この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

京都祇園の黒七味といえば、元禄の頃より一子相伝で守り伝えられてきた秘伝のスパイスだ。ここのカレーライスがまた絶品で、シビレる辛さが病みつきになる。お店のウェブサイトによれば、原料の持つ油分を挽き出し、丁寧に揉みこむことで原料同士が調和し、独特の濃い茶色になるのだという。混ぜ合わせてつくる七味とは製法からして異なるらしい。秘伝は「口伝」とも呼ばれる。往々にして口頭で伝えられてきたからだ。日本では秘伝や口伝がとくに大事にされてきた。イシス編集学校の師範代養成講座である花伝所も、また口伝である。
今期花伝所の入伝式が本楼で行われた。4部構成のプログラムの最後は、花傳式部の深谷もと佳のインストラクションによる「別紙口伝」である。『風姿花伝』(花伝書)に肖った花伝所のクライマックスはやはり「別紙口伝」なのだ。
「口伝ってなんだろう?」白い衣装を纏った深谷が口火を切ると、本楼の後方からスッと手が上がった。入伝生Hが「声と文字の違いですよね」と応じる。「そう、だから口伝にはボディが必要。師と弟子が身体を使って受け渡していくものだから、リアルでライブなのだ」と深谷は続ける。
「では、師範代の”代”とは?」と問いを重ねる深谷に入伝生Tの手があがる。「自分ではないだれかをブラウザーにして、自分の代わりにしていくことでしょうか」確かにひとつの見方に拘りすぎて別の視点を持てなくなる場面はよく目にする。自分の意見を持つように、と学校で教えられてきたこともあるだろう。「確かにそこにあるはずのもの、イシツをインタースコアしたいのに、自分が顔を出す」と入伝生Iが自由になれない苦しさを吐露すると、すかさず深谷が「なにかが自分の代わりになると自由になれるの?」と踏み込む。会場は徐々に熱を帯びてくる。カツカツと深谷が板書する白墨の音が響く。
花伝所で入伝生たちが手に入れようとしているのは、編集工学で「編集的自己」と呼ぶものだ。「じゃ、編集的自己じゃない”自己”とは?」さらに深谷の問いが追いかける。「編集的じゃないときは排他的だ」と入伝生Oが発言すると、「わたし、という主語が動かせないから、述語が見えなくなる」と別の声が重なる。入伝生Aは「環境と自分とのアイダを断ち切ってしまうと編集的自己になれない」と自分の外側に意識を向ける見方を示した。
深谷は編集的自己に対する「実」を、感染症に準えて「免疫的自己」と表現した。想定外のことを言われたらどうしよう、と守りに入ってしまう構えが免疫反応的な「実」だとすれば、対する編集的自己は「虚」である、と。虚と実は二項対立ではなく、つねに移ろっている。互いに出入りし、行き来するものだ。「代」になるとは、その関係を引き受けることにほかならない。「たくさんのわたし」を持ち出して、述語的になっていくプロセスなのだ。
花伝所には「式目」と名付けられたリテラルに結晶化されたテキストがある。しかし、それだけで「代」になる方法を学ぶことはできない。深谷は講義の冒頭で「モデル交換がヒツゼツなのだ」と声を強めた。松岡正剛校長も『知の編集工学』(朝日文庫)で「コミュニケーションはエディティング・モデルの交換である」と繰り返し述べている。インタラクティブで濃密な80分間は、まさにエディティング・モデルの交換の場だった。このエディティング・モデルの交換という奥義こそ、花伝所における口伝だろう。この先の、わずか7週間で、入伝生たちは口伝の奥義を身体に通し、おもいおもいの衣装を纏った師範代へと着替えていく。編集的自由を手にいれるための旅立ちである。
【参考記事】
文 山本ユキ
アイキャッチ写真 後藤由加里
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イシス編集学校 [花伝]チーム
編集的先達:世阿弥。花伝所の指導陣は更新し続ける編集的挑戦者。方法日本をベースに「師範代(編集コーチ)になる」へと入伝生を導く。指導はすこぶる手厚く、行きつ戻りつ重層的に編集をかけ合う。さしかかりすべては花伝の奥義となる。所長、花目付、花伝師範、錬成師範で構成されるコレクティブブレインのチーム。
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2025-06-10
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2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。