この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

将棋棋士・藤井聡太六冠は、なぜ勝ち続けるのか。その背景にあるのははたして「AI」なのか。それとも?
開講間近の第51期の[守]師範が、型を使って各々の数寄を語るエッセイシリーズ。3人目の師範角山祥道は、編集的な思考を用いて藤井聡太六冠の強さの秘密にきり込みます。
将棋界はAI抜きに語れなくなっている。
AIが最善手=正解を出し、勝負の形勢を評価値として可視化する。棋士はAIで研究し、AIと対局し腕を磨く。棋士にとって必要なのは、盤ではなくPCだ。
生成AIに左右される世界。これは他人事ではない。amazonのアルゴリズムはユーザーごとにお勧め本を提示し、グーグルのAIは届けるニュースを選別する。米国や日本の一部新聞記事はすでにAIによって作成され、昨年末には「AIを用いて描く文学賞」も創設された。「創造的に書く」ことすら、AIに浸食されている。
AIの最先端でもある棋界でトップに立つのが、藤井聡太六冠だ。最年少記録を次々と塗り替える20歳の青年を、今さら説明する必要はないだろう。王将戦のタイトル戦で羽生善治挑戦者を退けたのも記憶に新しく、現在は名人戦と叡王戦のWタイトル戦に臨んでいる。世間の印象は、藤井=AIの申し子、だろう。
人の思考は、出発点のベース(B)から目標点のターゲット(T)へと向かう。このBからTに向かう「あいだ」に浮かぶ姿・形・様子を、編集工学ではプロフィール(P)と呼び、ここに多様性や多義性、多彩さの可能性をみる。この「BPTは」、イシス編集学校が大事にする方法のひとつだ。
AIは、このPを省く。スタート(B)からゴール(T)までの最短ルートを導き出すのだ。効率化を重視するグルーバリズムと相性がいいのはそのせいだ。棋士がAIの示す手順を記憶するのも、途中の省略で成り立っている。ところが藤井は、BからTのあいだで「寄り道」をする。
2勝2敗で迎えた王将戦第5局もそうだった。52歳のレジェンド・羽生善治と藤井の大一番は、序盤からハイペースで進んだ。羽生が用意した作戦に乗った藤井だったが、1日目の昼、41手目で、手がピタリと止まった。細い指で扇子をくるくる回す。宙を見上げる。盤面に目を戻すと、体を小刻みに前後に揺する。
昼食休憩も入れれば、3時間に及ぶ長考の末、藤井が選んだのは、AIが示さない手だった。評価値は大きく下がったが、想定外の手に、羽生が大長考に陥り、対応を誤った。終盤のまぎれはあったけれど、41手目の反AI的寄り道が、勝利をたぐり寄せた。
明らかに藤井は、途中で寄り道をするためにAI研究を用いている。例えば定跡。経験知から導き出された最短ルートのはずだが、藤井は事も無げに違う道を進む。そしてそのことを楽しんでいる。この時の話し相手に、AIを用いているのだ。
ああなるほど。藤井聡太の将棋は、AIの正解を暗記するような「従属関係」ではなく、AIとの「共存関係」にあったのか。圧倒的な強さの秘密はここにあった。
藤井聡太六冠(現在は七冠)は、こんな付き合い方もあるよ、とAIとの新たな関係構築の一手を指し示してくれていた。
(アイキャッチ 51[守]師範・阿久津健)
▲第72期王将戦の記念扇子。発売開始時間を待って、その瞬間にポチッとしたことは言うまでもない。
■51[守]師範エッセイ
○阿曽祐子×美生柑「美生柑というダントツ」
○相部礼子×坂本龍一「24時間生活者に潜む、たくさんのわたし」
○角山祥道×藤井聡太「寄り道する藤井聡太」
○稲垣景子×壁「ボルダリングはギシシとオノマトペ」
○佐藤健太郎×食べ歩き「食べ歩く、軸、動く」
○阿久津健×Fat lava「ファットラヴァ~組み合わせの実験器」
角山祥道
編集的先達:藤井聡太。「松岡正剛と同じ土俵に立つ」と宣言。花伝所では常に先頭を走り感門では代表挨拶。師範代登板と同時にエディストで連載を始めた前代未聞のプロライター。ISISをさらに複雑系(うずうず)にする異端児。角山が指南する「俺の編集力チェック(無料)」受付中。https://qe.isis.ne.jp/index/kakuyama
世の中はスコアに溢れている。 小学校に入れば「通知表」という名のスコアを渡される。スポーツも遊びもスコアがつきものだ。勤務評定もスコアなら、楽譜もスコア。健康診断記録や会議の発言録もスコアといえる。私たちのスマホやP […]
スイッチは押せばいい。誰もがわかっている真理だが、得てして内なるスイッチを探し出すのは難しい。結局、見当違いのところを押し続け、いたずらに時が流れる。 4月20日の43期[花伝所]ガイダンスは、いわば、入伝生たちへの […]
【多読アレゴリア:勝手にアカデミア】勝手に映画だ! 清順だ!
この春は、だんぜん映画です! 当クラブ「勝手にアカデミア」はイシス編集学校のアーキタイプである「鎌倉アカデミア」を【多読アレゴリア24冬】で学んで来ましたが、3月3日から始まるシーズン【25春】では、勝手に「映画」に […]
【多読アレゴリア:勝手にアカデミア③】2030年の鎌倉ガイドブックを創るのだ!
[守]では38のお題を回答した。[破]では創文した。[物語講座]では物語を紡いだ。では、[多読アレゴリア]ではいったい何をするのか。 他のクラブのことはいざ知らず、【勝手にアカデミア】では、はとさぶ連衆(読衆の通称) […]
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。