【多読募集】ボウイと歌え、サブカルズで遊べ season14・春

2023/02/27(月)12:00
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 咲くは桜か、発想の花か。<多読ジム>season14・春(2023年4月10日~)が桜の開花にあわせて始まります。

 今回のラインナップはこちら。

 <1>ブッククエスト :デヴィッド・ボウイの30冊 
 <2>三冊筋プレス  :歌う3冊 ◆版元企画:青林工藝舎
 <3>エディション読み:『サブカルズ』

 桜といえば花見。花見といえば歌がつきもの。今回は、「本」で歌ってみようではありませんか。

 

■言霊妖怪デヴィッド・ボウイで叫べ

 

 そこでブッククエストでご用意したのは、「デヴィッド・ボウイの30冊」です。
 なぜボウイ? なぜロッカー? こう思ったあなたは、「千夜千冊」でこっそり、「デヴィッド・ボウイ」と検索してみてください。松岡校長が事あるごとにボウイに言及していることに気づくでしょう。
 例えば……。

 

《レッド・ツェッペリンがそうであり、デヴィッド・ボウイがそうであったように、マーク・ボランもイギリスの血と音をたぎらせた言霊妖怪なのである》(#0216「ロックの伝導者」)

 

 「デヴィッド・ボウイの30冊」の元ネタは、『Bowie’s Books デヴィッド・ボウイの人生を変えた100冊』(亜紀書房)。音楽ジャーナリストのジョン・オコーネルが、2002年に実際にボウイにインタヴューを行い、彼が首ったけになった100冊とその理由を聞き出した本です。
 実はこの本、校長が「いつか千夜千冊したい」と密かに温めている一冊で、角川武蔵野ミュージアムの「館長通信 No.38」でも熱く語っていいます(少しだけ引用してみます)。
 ボウイはなぜ、ぞっこんの本を告白したのか。

 

《ボウイにとってのステージソングは、好きな本によって内側に差し込んできた未知の世界との出会いを曲に乗せ、声を震わせ、お気にいりの恰好で歌ってみせることだったのである》

 

 自分の数奇をさらけ出すことは、ボウイにとって、歌うことと同義だったのです。本との出会いが歌に繋がっていたともいえるでしょう。
 ではボウイのごとく、数奇な本を白状するとどうなる?

 

《本はそのうち歌い出し、踊り出すに決まっている》

 

 ああ、歌いたい! 踊りたい! そんな思いを、多読ジムでは言葉にしていきます。

 

■本は歌う、わたしも歌う

 

 言霊妖怪ボウイで歌い踊るなら、恒例・三冊筋プレスのテーマも「歌う3冊」。
 武満徹の『音、沈黙と測りあえるほどに』を持ち出してもいいし、『グレン・グールド著作集』でピアニストの方法に深くもぐりこむのもいい。ミュージシャンの自伝や作詞家・作曲家のエッセイ、音楽史もあり。クラシックに童謡、オペラに演歌、ジャズに三味線、パンクに浪曲、ジョン・ケージにAdo。本になっている「歌」や「音楽」を、あなたの五線譜上で繋げてみるのはいかがでしょう? 思いもよらない「わたし×本の歌」が聞こえてくるはずです。
 さらに、今回は特別に、出版社コラボ企画として齋藤なずなの漫画『夕暮れへ』(青林工藝舎)をご用意しました。齋藤なずなの描く、「飾らない日常」に耳を澄ませば、きっと「あの歌」があなたの琴線を震わせることでしょう(『夕暮れへ』の紹介、著者コメントは、別記事で!)

 

■校長の「歌」を聴け!?

 

 歌・歌・踊・歌……とくれば、エディション読みはこれしかありません。そう『サブカルズ』です。
 これぞ校長のシャウト。ポケモン萌えゲームラノベヒップクール東浩紀ウォーホルユーミンノーマン・メイラー。『サブカルズ』で取り上げられているのは、サブカル“ズ”としかいいようのない、同一や平均からこぼれ落ちた、雑多で多様なものたちです。だからこそ誰も捉え切れていなかったものたち。そこに校長は視線を向けます。
 例えば「パンク」に対するくだり。

 

《サブカル・パンクは社会の潜在的欲望の発露である。それが当初は貧困すれすれ、差別ぎりぎり、堕落きわきわであることが、つねに奔放なファッションとスタイルを発動させた。
 それは世の中に対してはたいてい「場ちがい」「用途ちがい」という矛盾を突き付ける。だからそれらはいつだって社会の「ノイズ」(雑音)として切り捨てられる宿命をもっているのだが、だからこそそのノイズはジュネのワセリン・チューブのような、ちっぽけではあるが、許しがたい主張力をもった開口部になりえたのだった》(#1735夜「サブカルチャー」)

 

 サブカルカルチャーとは何か。
 「場ちがい」でも「用途ちがい」でもない。語るに値しない「ノイズ」なのでもない。私たちがこれまで、語るべき言葉(方法)を持ち得なかった、というべきなのでしょう。
 サブカルから特有のスタイルを抽出し読み解く校長にならって、本書の中のさまざまなスタイルから選び取り、あなたなりの歌を奏でてみてはいかがでしょうか。
 ちなみに松岡校長、近々、NHK番組でサブカルチャーについて語るそうです(第1回放送は3月4日!)。これも楽しみですね。

 

 歌う阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら歌わにゃ損々。

 さあ、花の散る前に参集し、いざ多読ジムでともに歌わん。

 

Info


◉多読ジム season14・春◉募集中!

 

∈START
 2023年4月10日〜6月25日

  ※申込締切日は2022年4月3日

 

∈MENU
  <1>エディション読み:『サブカルズ』
  <2>ブッククエスト :デヴィッド・ボウイの30冊
  <3>三冊筋プレス  :歌う3冊

          ★多読コラボ:青林工藝舎

 

∈URL
 https://es.isis.ne.jp/gym


∈DESIGN the eye-catching image
 山内貴暉

  • 角山祥道

    編集的先達:藤井聡太。「松岡正剛と同じ土俵に立つ」と宣言。花伝所では常に先頭を走り感門では代表挨拶。師範代登板と同時にエディストで連載を始めた前代未聞のプロライター。ISISをさらに複雑系(うずうず)にする異端児。角山が指南する「俺の編集力チェック(無料)」受付中。https://qe.isis.ne.jp/index/kakuyama

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コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。