43[破]汁講レポ:「ハイパー」をインタースコアする

2020/01/23(木)15:54
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 トラクターとクリオネと鼠、古い農具と酒器と鶏の標本、熱帯植物とリクガメとマダガスカル固有種のサル。異質なものが隣接しながら混然一体となっている。初音イズタロー教室とホーム・ミーム教室の合同汁講は、東京農業大学「食と農」の博物館・バイオリウムから始まった。

 

 [破]の終盤、プランニング編集術の稽古ではハイパーミュージアムを構想する。そこで学衆を悩ませるのがハイパーとは何かである。「ハイパーをリアルに感じる場にしたい」という両教室の師範代の思いが一致し、合同汁講のテーマは「ハイパー」に決定。見学先に選んだのが、この小さなミュージアムだった。

 

 

 「普通の博物館のように一貫した展示でないところがユニーク」。案内役を務める小林奈緒師範代の言葉に学衆たちが頷く。「関係ないものが一緒に置いてあるのに違和感がない」「なんとなくハイパーぽさを感じる」「農大が地になっているからでは?」。見学を終えて、さまざまな感想が飛び交った。

 

 次は本命の編集工学研究所。原田淳子学匠と八田英子律師が[破]の先にある進路を語ってくれた。師範代をめざす[花伝所]や[遊]講座、最難関の[離]、新しく始まった[多読ジム]……。それぞれの夢を馳せたところでハイパー・インターブッキングに突入する。参加者各自がハイパーだと思って選んだ本を交換し、ハイパーとは何かについて交わし合おうというものだ。網口渓太師範代が仕切り役を買って出た。

 

 

 一人一冊のはずが二冊、三冊と多く持ってきた人がいて、テーブルには14冊の本が並んだ。11人の参加者が「せーの」で一斉に指差して本を選び、目次読書を経てハイパーらしいと思うキーワードを三つ発表する。それに対して提供者が自分の見方を説明するというルールだ。『勉強の哲学』(千葉雅也著、文藝春秋)を選んだ小林三郎さんが挙げたキーワードは「勉強とは自己破壊、自由になる、バカになる」。提供者の桑田惇平さんが「まさに自己破壊をすすめる本。付き合っていた人が変わり、松岡校長の千夜千冊エディション『本から本へ』(角川文庫)に出会い、自分を変えるきっかけになった」と自身の体験を交えて説明した。

 

 こうして絵本、漫画、小説、哲学書、雑誌と多岐にわたる本のインタースコアが一巡。網口師範代が「ハイパーをドレスコードにこれだけの本の交換が起きたことに可能性を感じた」と締め、一行は次の会場となる三輪亭へと向かった。

 

2020年1月19日(日)
 「初音イズタロー教室、ホーム・ミーム教室」合同汁講
 ◎43[破]原田淳子学匠 八田英子律師 小路千広師範
 ◎初音イズタロー教室 網口渓太師範代
  参加学衆:三谷和弘、舘下恵、内村寿之、小林三郎、畑勝之(敬称略)
 ◎ホーム・ミーム教室 小林奈緒師範代
  参加学衆:桑田惇平、中島紀美江、内田正司(敬称略)

  • 小路千広

    編集的先達:柿本人麻呂。自らを「言葉の脚を綺麗にみせるパンスト」だと語るプロのライター&エディター。切れ味の鋭い指南で、文章の論理破綻を見抜く。1日6000歩のウォーキングでの情報ハンティングが趣味。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。