この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

評匠Kは思い出していた。
物語編集術が佳境である。数多くの様々な思いにあふれる作品が今週末にエントリーされることだろう。自分自身のことを思い出してみると、この物語編集術に4[破]で挑んだ時、物語を創る面白さは感じてはいたものの、松岡正剛の仕事術を学ぶこととうまく紐づけることができていなかったのを覚えている。しかし、今、物語とビジネスが関係ないなんて思う人は、殆どいないだろう。
評匠Kは調べてみる。
出版物のキーワードの出現度を経年で見ることができるgoogleNgamViewerというWebページがある。これを使い、”business storytelling“の出現度を見てみると2000年に入り、徐々に増え始め、2000年代の後半から、増加の割合が大きくなってきていることが分かる。ビジネスで物語を語ることの重要性が高まっているのだ。
評匠Kは考えた。
2000年代は炭酸ガスによる地球温暖化、イスラム原理主義によるアメリカ同時多発テロ事件、高度化した金融工学が引き起こしたリーマンショックなど、企業活動は株主価値を最大化するよう、拡大、成長を目指すのが正解という大きな物語が崩れた時期だ。誰もが納得する物語がない以上、お互いの利害や関係を調整するため、ワールドモデルを自分たちで作り、その中で成功する物語を語っていかなくてはいけなかった。
そして2010年以降もそれまで信じてきた物語がいくつも剥がれ落ち、その下から現れたのは別の顔を持つ物語だ。国家間で、国の中で、組織の中で別々の小さな物語を通して世界を見ていたことがあきらかになり、どちらの物語が正しいのかをあきらかにしようとする暴力も絶えない。
でも、[破]で私たちはクロニクル編集術を通して、自分自身の歴史の見え方が本という世界と化合することで新たな見え方に変化することを実感した。一見反発しあう物語もお互いに重ね合わせることで、新しい世界観を生み出せるはずだ。
その時、物語に大事なのは理念や概念ではなく、具体的なモノ・コトが描かれていることだ。
「国がなくなるという事件はそれほどめずらしくはない。だから国よりも町の方が信用できる。町というものは石やレンガでできているから。そう簡単には消滅しない。国は書類上の約束事に過ぎない、つまり紙でできている」
今期からセイゴオ知文術の課題本になった多和田葉子さんの『地球にちりばめられて』三部作の三冊目の『太陽諸島』で登場人物が発した言葉だ。石やレンガのような手ざわりと重さを持ったモノゴトだからこそ、お互いの見方がモノゴトの何について語っているかを具体的にでき、その違いをみんなでながめることから、語り合う意味が生まれてくる。
評匠Kは切望する。
物語編集術でも、ワールドモデルを史実、現代、あるいは架空の世界であったとしても、手ざわりと重さを持つまでイメージし、言葉にすることで、読み手に信用される世界を作り上げていくことを目指して欲しい。信用できる世界だからこそ、ヒーローの傷や戦いが読み手の世界観に投射されるものになる。
そのように物語れるようになることで、私たちの世界が小さな物語に分解されていくのを食い止め、新しい物語のイメージサークルを広げる方法にすることを目指していきたい。
アイキャッチデザイン:穂積晴明
きたはらひでお
編集的先達:ミハイル・ブルガーコフ
数々の師範代を送り出してきた花伝所の翁から破の師範の中核へ。創世期からイシスを支え続ける名伯楽。リュックサック通勤とマラソンで稽古を続ける身体編集にも余念がない、書物を愛する読豪で三冊屋エディストでもある。
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2025-06-10
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2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。