この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

2023年が明け、50[守]師範代から教室の学衆に年始の挨拶が贈られた。学衆の面々と出会えた2022年への感謝と共に、この先への期待と覚悟が漲る。そして、どの師範代も「まずは番ボー」と添えることを忘れない。年の瀬から仕込んできた祭も、年が明けていよいよ山場にさしかかる。
「空文字アワー ~言の葉つなぎ~ 汁講編」
12月に行なわれたダルマ・バムズ教室の汁講の翌日、学衆の田原一矢がスレッドを立ちあげた。数か月前に師範代が開催した勧学会イベント「空文字アワー ~言の葉つなぎ~」をもじったものだ。「昨日の汁講、大変おもしろかったのですが…、いざ書こうとすると、最早多くを忘れています」と白状したうえで、「覚えていないところは空白( )にしています。どなたかここに言葉を入れてください」と仲間に要請した。「空文字アワーは、どんどんつないで変化を起こすのが醍醐味です。ダルマ・バムズ教室らしい大きな物語をみんなで作り上げていきましょう」と、数か月前の師範代の小野泰秀がのりうつったように、その言葉をリフレインした。
汁講では、第2回番ボーを先取りして、ミメロギアのワークが行なわれた。番ボーでの入選はもちろん、卒門、更にその先までも学衆たちを導きたいと小野が準備したものだ。まずは、各々が回答をつくる。そののち、集った全員で寄ってたかって回答を評価し、磨きあげるのだ。やや緊張して参加した照喜名宏之がつくったのは「弓道部の猫・サッカー部の犬」という回答。一同で部活という地に着目したことに感心しつつも、猫と犬の「らしさ」について深め合った。対話の果てに出来上がったのは「初戦敗退の猫・全国制覇の犬」。行き着くところまで行ったかと全員がホッとした瞬間、三日市篤史が「いや、逆に、全国制覇してもツンとしている猫、意外と弱い犬というのも、それらしいかも」と反転バージョンの「全国制覇の猫・初戦敗退の犬」を持ち出す。どこにどう注意のカーソルを当てるかにより、対象の見え方が大きく変わる。他者との対話によって、作品の別様が見えてくる。
ユーモアの人、田原がつくったのは「▲のクリスマス・○のお正月」。記号を使うというアイディアに一本やられた感がぬぐえない面々だが、対話は止まらない。「〇はお餅ですよね?」に始まり、「家族が集まって輪になるイメージをしました」「いやいや初日の出ではないか?」、更に「□にすれば凧にもなる」と連想がどこまでも飛ぶ。作者の田原が「まさかこの作品でこんなに盛り上がるとは」と唖然だ。解釈の余白に溢れた記号だからこそ、多様な読みがアフォードされる。作り手を越え、作品が読み手の中で育っていく様に、自らの作品の行く末が重なる。
「空文字アワー汁講編、せっかくですので埋めてみます」と照喜名が率先して加筆する。学衆MSは、空白がなかったところに情報を差し込む。「閃きの泉」「辞書の生まれ変わり」「正確さのエッセンシャルワーカー」と登場人物それぞれの特徴を書き足した。田原による空白が仲間の心をくすぐり、手を動かした。当初よりも彩り豊かな物語になっていく。
汁講の数日後、小野によってミメロギアのお題が出題された。新たな空白の登場である。それを埋めるべく、元旦から「あけましておめでとうございます」の挨拶とともにミメロギアの再回答が届く。「まずアウトプットして対話の俎上にのせねば相互編集に至れない」。汁講と2度にわたる空文字アワーで通感したダルマ・バムズ教室ならではの光景である。「ダルマ・バムズ教室らしい大きな物語」、この問いもアタマの片隅に置きながら、新年も編集稽古が続く。
2022年12月22日(木)開催のダルマ・バムズ教室の汁講に参加したのは、学衆の田原一矢さん、
照喜名宏之さん、三日市篤史さん、MSさん、小野泰秀師範代、鈴木康代学匠、石井梨香番匠、
若林牧子番匠、師範阿曽祐子。
阿曽祐子
編集的先達:小熊英二。ふわふわと漂うようなつかみどころのなさと骨太の行動力と冒険心。相矛盾する異星人ぽさは5つの小中に通った少女時代に培われた。今も比叡山と空を眺めながら街を歩き回っているらしい。 「阿曽祐子の編集力チェック」受付中 https://qe.isis.ne.jp/index/aso
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
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2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。