過剰なもてなしは真骨頂 若林牧子の新春Eツアー

2020/01/12(日)20:35
img JUSTedit
 「私は頑なな鶴の子です」。
 仕事の拠点である愛媛の銘菓「鶴の子」に色白で柔らかな自分自身を見立て、自己紹介した若林牧子師範。令和に元号があらたまった初登壇に続いて、年明けの今回が2回目のインターアクターになる。まさに「節目の若林」。若水のごとくあらたまる時は若林牧子の出番になる。
 
 今回のエディットツアーのタイトルは「もてなし・しつらい・ふるまい 新春特集」。自らを「頑なな」という形容詞をつけて喩えたように、柔和な若林がどうしてもとこだわったのが、参加者への「おもてなし」である。前日から焼いた餅と煮込んだ小豆を持ち込んでぜんざいを振る舞い、七福神に見立てたあられを升に入れて用意した。
 
 
 
 
 もちろん、おもてなしだけではなく、ワークのしつらいにも「食のコーディネイター」である若林らしい趣向が盛り込まれている。
 
 参加者の自己紹介ワークは、『一日一菓』(新潮社)から一つの菓子を選んで自分を和菓子に見立ててもらうもの。葛の茶巾絞りに喉ごしのいい自分らしさ、梅の蕾を模した練切にはこれから花開きたい可能性、円形の飾られた干支煎餅には一年の目まぐるしい変化のある日々をというように、参加者は次々に即興で見立てた。
 
 和菓子はそもそも花や季節の風物などの見立ての宝庫。多様な情報をハイコンテキストにスピーディに伝えるときに見立ては強力な武器になる。和菓子に見立てることで、多様な自己を込め、ハイコンテキストに情報を伝えられることを体験した。
 
『一日一菓』(木村宗慎/新潮社)
 
 ツアーを締めくくる最後のワークは「元旦と三冊をつなぐ」。元旦の日本経済新聞朝刊を使ったグループワークである。二人でペアになり、新聞の記事や広告で気に入った文言、コピーを選んで、それを本楼に並んだ本から三冊を選んで紹介する。「フロンティア まだ見ぬ世界へ」という広告コピーからは『日本における陽明学』『さまよえる工藝』『原発ゼロ社会への道程』の三冊。思想と創造から未知に向かうセットに仕立てた。『シーボルトと鎖国』『日本言論地図』『あの日にかえりたい』を過去・現在・未来の三間連結と捉え、「まず知ることから始めてみませんか」というキャッチに重ねるなど、8人が4つの元旦記事三冊セットをプレゼンした。
 
 
 
 
 最後はエディットツアー参加者全員に2万円相当のお年玉プレゼントを贈って締めくくった。中身はイシス編集学校の受講割引券である。2時間のワークショップを30分近く超過し、もてなしから時間まで、ウンチクからツールまで全てが過剰な若林牧子師範のエディットツアーでイシスの新年はスタート。今年のイシスは過剰がテーマになりそうだ。
 
 
  • 吉村堅樹

    僧侶で神父。塾講師でスナックホスト。ガードマンで映画助監督。介護ヘルパーでゲームデバッガー。節操ない転職の果て辿り着いた編集学校。揺らぐことないイシス愛が買われて、2012年から林頭に。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。