この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

編工研メンバーと一緒に太極拳を習っている。教えてくれる今井秀実先生の動きはため息が出るほど美しい。先生が言うには、太極拳は身体の虚と実を連続させることが一番の大事。「何も考えず頭の中はぼんやり」「まず腰椎を動かして」「軸がずれないように」「お腹は緩めて」と教える。太極拳のすべての型には中国語の名称がついていて原理も明快、ただし身体の部分と全体の動きの虚実がうまく連続しているかどうかは、なぜか他者からしかわからない。だがそこが面白い。
師範代にとっての「マネジメント」とは
今週は「M4マネジメント」の演習である。花伝所では「学びが創発に向かうシステム」のマネジメントを考える。ここからは各道場の錬成師範も指導に加わる。
「教室は“生き物”」。M4の総論はこのフレーズではじまる。教室は師範代と学衆が出入りする重力場だ。そこから師範が加わる勧学会、学匠・番匠、期全体のメンバーがいる別院へと接続して、学びの原郷となっていく。
38花の入伝式では、中村麻人花伝師範が、教室の一座建立が呼ぶ偶然や別様の可能性について、日本の座や結社の方法にかさねて講義した。相互編集の型を「エディティング・モデルの交換」「意味の市場」「情報生態系」の3相で示すと、イシス編集学校が動的、有機的な広がりをもつ情報生命として浮かび上がる。中村師範は、場のなかにいてどう評価をしていくか、師範代としてのカマエを問いかけた。いよいよその本題に入っていく。
虚から入る
入伝式の編集工学講義で、今回はじめて、深谷もと佳花目付と林朝恵花目付が松岡校長にインタビューをした。両花目付が交互に質問して校長の伏せられた編集思想を引き出していく。編集の本質である変化と継承についての質問に応えて、校長は「芭蕉のように虚から入れ」と勧めた。
「俳諧といへども風雅の一筋なれば、姿かたちいやしく作りなすべからず」(去来)なのである。「いやしく」しない。つまり、卑俗を離れたいと、芭蕉は決断したのだった。
のちに芭蕉は服部土芳に、こう言ったものだった。「乾坤の変は風雅の種なり」(三冊子)と。そして『笈の小文』に、こう書いたものだ。「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫道するもの一なり」と。
千夜千冊991夜 松尾芭蕉『おくのほそ道』より
相互編集の場には、新しい視点や方法を生む可能性がひしめいている。よくわからないけどいいなと思うことや微細なフェチなどフラジャイルななにかによって、場は一気に魅力を帯びる。
松岡校長は「ぼくは常時を編集状態で埋め尽くしたい」と言う。「その存在のインターフェイス状の境界を<松岡>と呼ぶ」「他者と混じって自分を誰かと区別つかないようにしておくのがコツ」と加えた。
入伝生たちは、どのようにして虚実皮膜の教室を構想するだろうか。微に入る対話をさかんに起こし続けながら、最後のM5錬成メイキングへ。式目はここからが面白い。
文 田中晶子
アイキャッチ 阿久津健
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。