松岡正剛が語る、2020年に突出するための五箇条

2020/01/09(木)17:04 img
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 「今年はガンガンやった方がいい」。

 編集工学研究所の新年会で同所所長・松岡正剛はそう口を開いた。「今年の後半から来年の頭にかけて、編集工学が時熟する可能性が高い。ぼくも色々とコアコンピタンスを明らかにしていくつもりだ」。
 昨年末の千夜千冊エディション『編集力』出版を先駆けに、今年は編集学校・編集工学のメディア露出も増えることになっている。すでに年始から教育新聞での連載もスタートを切った。折しも巷ではメディア・広告業界を中心に「編集」というコンセプトが注目を集めつつある。本年は社会の要請とイシスでの熟成が重なる可能性がありそうだ。
 そんな機運が高まる令和2年目の1月6日。松岡は編集ブレイクの前に、やっておくべき五箇条を語った。

 

年頭メッセージを語る松岡正剛と聴講するスタッフ

しつらいは渡辺文子と和泉佳奈子による。

 

[1]とにかく徹底する
自らの仕事や実験、表現を追求することはもちろん、他人のどんな可能性についても徹底していくこと。自在・他在を問わず、どんなところでも徹底的にネットワーキングやリンキング、トレーシングを行うことで、創発が起こる。

 

[2]ハイブリット性を意識する
非一貫、非純粋、非正当。混じり気のある編集クレオールこそ今必要だ。抱える普遍より、放つ普遍を。異質な普遍性が持つ、動的な速度の中に、一気呵成の編集力が潜んでいる。

 

[3]リアル・ヴァーチャルをつなげる
VR時代のヴァーチャル・リアリティは面白くない。単なるデジタリゼーションではなく、ヴァーチャルでのもてなし・ふるまい・しつらいを今一度熟慮すべし。

 

[4]観客を用意する
全国の師範、師範代の目、遊刊エディスト、外部のメディアなど、ショーイングを見越して何かに晒される状態を維持すること。出来る限り、読む・書く・借りる・描くを連続的にこなしてみると良い。すると自分の得意手が見えてくる。特に「借りる」が重要。

 

[5]本の見方を変える
本は全人類史の束だ。なのに今だに何もされていない。恐ろしい読書家の小学生が出てきてもいい。百冊読みがゲーム化されてもいい。本のラッパーが出てきてもいい。本をもっとドラマチックにしなさい。

 

 以上の五箇条を前段として、編集工学はある種の「ゲーム化」へ向かっていくという。今年は東京オリンピック・ムードが際立っているように、ゲーム性のあるものは巻き込み力が高い。もし〇〇立国というものが可能ならば、それは日本中を巻き込めるゲーム性が問われるべきだ。それは編集においても同様だろう。
 編集工学的に見れば、ゲームとはスコア(得点・評価)を奪い合うフォーマットだ。それ自体はあくまで敷物のようなものであるが、ルール・ロール・ツールが組み込まれることでシステムとなる。すると自律的に意味や物語を生み出すようになる。「だからこそスポーツも将棋もドラマチックになるんだ」と松岡はゲームの有用性について語った。「単なる整数の得点は面白くない。小数や分数といった微妙なもの。記号や暗号、物語から一茶の句までなんでもスコアとなりうる。大胆なスコアリングを考えてほしい」。

 今年の松岡は、角川武蔵野ミュージアムの館長にも就任し、新たな執筆や企画も構想中だという。未だ誰も見てこなかった編集の核心が示されていく年になるだろう。「諸君の一気呵成の編集にも期待します」とスタッフやイシスメンバーの背中を押した。

 

スタッフ一同、世田谷八幡宮にて

 

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  • 穂積晴明

    イシス編集学校方源、編集工学研究所デザイナー、「おっかけ千夜千冊」の千冊小僧。『情報の歴史21』『知の編集工学 増補版』ほか、編集学校のあらゆるものをデザインするが、疲れ目に祟り目でたまに目にカビが生える。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。