この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

「破」はただの学校ではない。
「破」の方法にこそ、
編集を世界に開く力が秘められている。
そう信じてやまない破評匠ふたりが、
教室のウチとソトのあいだで
社会を「破」に、「破」を社会につなぐ編集の秘蔵輯綴。
評匠Nは考えた。
破の時の流れは速い。半月前に開講したかと思えば、最初のクライマックスである「アリスとテレス賞」セイゴオ知文術がもう告知された。エントリー締め切りは11月13日(日)18:00だ。
破の評匠の仕事は、この「アリスとテレス賞」の作品を吟味講評することである。師範たちも評価に加わるが、日々の学衆たちの稽古を親身に見る師範陣たちに比べると、評匠はアワードにエントリーされた作品そのものを、その言葉の綴りに表れたものを読み、ある意味で”冷たく”見切ることが仕事だ。
「文体編集術」から「いじりみよ」を経て続く稽古で学んだ方法が、セイゴオ知文術として盛り込また作品に結実してほしい。これまでになかった新たな価値と意味、名付けようのない表象がメッセージであってほしい。それが評匠の思いである。その思いを近年の破では一言で、「ハイパーへ向かう」と呼んでいる。破の稽古は、「アリスとテレス賞」を見据えながら、ハイパーに向かうべきなのである。
評匠Nは、こうも考えている。
編集学校で学ぶ編集術は、編集工学に基づいている。「工学」ということは、要素や部品など部分を組み合わせ、全体を機能させていくわけだ。だが、いくら部分を整合的に組み合わせても、まったく意味や価値やメッセージを生まないこともある。その例として、最近の政治でよく語られる言葉を抽出してみよう。国会などで使われる言葉をトレーシングペーパーに書きつらね、透かして重ね合わせていくと、たとえばこんな物言いになるだろう。
「状況の推移を丹念に注視し、これまで議論のなかであがったさまざまな意見を踏まえながら、そのときどきに応じて必要な対策を適切に、躊躇なくしっかり実行し、すみやかに効果を発揮するよう全力を尽くす」
論理はあるかもしれないが、まったく意味がない文章である。この答弁まがいの文章は、どんな質問に対しても適用できるが、その場の審議をしのぐという効用以外に価値はない。
なぜそう言えるかといえば、ここに書かれている内容は政治家であれば当然やるべき、つまり「地」であるべき情報だからである。状況に適切に対処せず、全力も尽くさない政治家がいればさっさと落選してしまえ、となる。これまでの議論を踏まえてしっかり実行するのも政治家の「地」として当たり前だ。当たり前のことを書いても、情報にはならない。
これが情報になるためには、メッセージが「地」を背景とした「図」として立ち上がってくる必要がある。政治家一般についての説明はわかったとして、いま、このとき、責任者である〇〇は、〇〇な時代に必要なことは、〇〇という理由から、〇〇をやらねばならない、という説得力があって初めて、相手にイメージを連想させることができる。政治家ならできれば、わざわざ「地」を説明するのでは野暮で、「図」を語るだけで「地」をも想像させるキレのいい言葉を選んで欲しい。
破の文体編集術のお題は、実はこれをやっている。「誰が」「どこで」「なぜ」「何を」「どのように」「何をしたか」という5W1Hの方法であり、その方法をメッセージとして組み上げる基本かつ最も重要な編集術として「いじりみよ」を学ぶ。限られた字数で書こうとすれば、「地」の情報を縷々綴っている余裕はない。「図」の語りのなかにすでに「地」を伝わらせる言葉の選択、配列、構成を尽くさなければならない。そうやって綴られた文章を、読み手や聞き手が合理的・説得的と感じてくれるかどうか、そこには賭けもある。しかしその危ない橋を渡るリスクなしに意味のあるメッセージは出てこない。そのための技法を日々の稽古で身につけたうえで、学衆はセイゴオ知文術に挑む(ことになっている)。
評匠Nは、考える。
答弁プロトタイプを笑ってばかりもいられない。世の中にはこんな言葉ばかりが溢れている。この答弁をしておけば、政治家は議員の質問やメディアの面倒な追及をひとまずはかわせる。政治だけでなく私たちも、煩わしいコンプラやポリコレを避け、リスクを他人に預けるために知らず知らずのうちに同類の言葉が飛び交うなかで暮らしている。ついつい、それに慣れてしまう自分を見出す人も少なくないだろう。
「アリスとテレス賞」セイゴオ知文術には毎期60本余のエントリーがある。ひとつひとつの輝きはあるが、全体としてみれば面白いことに、かつ恐ろしいほどに、作品の集合からはその期の「地」としての世相が浮かび上がってくる。残念なことに、プロトタイプ的な、意味のない方へと向かってしまった作品も増えてきている。800字を全力を尽くして書いたことに疑いがないが、その努力が新たな価値に、ハイパーさに結実しなかった残念を、評匠はしばしば覚える。
知文術、そして日々の稽古に、漫然と入らないことだ。編集的自由に向かう自分のコンディションを整える。いい本を読むのがいちばんだが、時間がなければお気に入りの千夜を一夜読むだけでも変わってくる。そして稽古に取り組む。師範代と回答指南の応酬を交わす。その積み重ねが、ハイパーな創文へとつながる。ただの作文ではない濃密な800字を綴る貴重な経験になる。破の醍醐味は、構えから味わうべし。
評匠Nはそう考えている。
アイキャッチデザイン:穂積晴明
中村羯磨
編集的先達:司馬遼太郎。破師範、評匠として、ハイパープランニングのお題改編に尽力。その博学と編集知、現場と組織双方のマネジメント経験を活かし、講
座のディレクションも手がける。学生時代は芝居に熱中、50代は手習のピアノに夢中。
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2025-06-10
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2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。