この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

「知識」を破戒せよ、「知」の冒険へ誘え
10月初旬の本楼では、オンラインによる50[守]師範代に向けた第1回伝習座が開催された。守を再受講し編集稽古に更なる可能性を見出すべく、これまでにない力強さで用法語りに革命を起こすべく立ち上がったのは加藤めぐみ師範であった。
開講前に提出された師範代レポートに用法2への言及が少ないと嘆く。だが、花伝所で学び、師範代となり再び守を受講したからこそ用法2のお題には「とびきりスリリング」できる可能性があると語りだす。身近にある既知の情報を集め妥当性に寄ってしまう回答に指南するだけでなく、編集可能性を追求する稽古に向かってもらいたい。回答と指南の丁々発止を求め、今までにないほど熱く用法2に肩入れしていることを明かす。
情報が情報を呼ぶ。
情報は情報を誘導する。
このことは本書がたいそう重視していることだ。「情報は孤立
していない」、あるいは「情報はひとりでいられない」ともい
えるだろう。また、「情報は行き先をもっている」というふう
に考えてもよいかもしれない。
――『知の編集工学』p.36(朝日新聞出版、文庫版)
たとえば、「コーヒーカップ」という情報があったとしよう。
「コーヒーカップ」×「喫茶店」
「コーヒーカップ」×「読書」
「コーヒーカップ」×「ケーキ」
情報が引き寄せられ、結びつく相手によって違うシチュエーションが生まれる。「対」になることで意味が発生するのだ。
さらに「対」となる「コーヒーカップ」×「ケーキ」に「+1」の情報が誘導されると、
「コーヒーカップ」×「ケーキ」 +「プレゼント」
連れてこられた「+1」で、恋人同士のデートが想起されてくる。このように新たな情報が起こるとき、情報に行き先が生まれる。決して既存の何かを探してくるという稽古ではない。用法2ではその関係を「みつける」ことが重要である。
情報を関連づける思考単位の型を編集学校では「編集思考素」と呼ぶ。「編集の型」として用いることで、編集が自由になり、新しい意味を発見していくようにかわることがわかる。
編集で「世界」を理解する方法の束となる用法2を更新すべく、加藤師範の用法語りは師範代、教室とお題をむすびつけ、かさねる。正解がない世界へと導くため、師範自ら用法に変革を起こすリスクをとっている。ありきたりでは終わらせない、とびきりスリリングな体験を学衆が教室でしてもらいたい。師範代も勇気を持ってリスクを取って欲しいと願い、用法2への「肩入れ」はこれからも続くだろう。
熱い思いを受け止め勢いよく走り出している50[守]の新師範代。編集稽古は縫い直すことで別様の可能性を感じ取り、かわるチャンスでもある。
堀田幸義
編集的先達:半村良。SFを愛するデジタルマーケター。石鹸づくり、マラソン、大人の塗り絵に定期的にハマるオタク気質もある。食事前に親父ギャグを連発し家族には白い目で見られ、師範代時代には学衆に感門之盟のファッションもコーディネイトされるというツッコマレキャラ。サトケン師範とは名コンビ。
チョンチョン、チョーン!新たな柝が入る。 Zoom画面の幕が開き、仕立て下ろしたばかりの顔が並び揃っていた。柔和な表情とは裏腹に編集態勢は整っているようだ。 2期ぶり2期目なのに貫禄たっぷり角山祥道。 […]
日本海側と西日本で雪が猛威を振るう中、束の間の逢瀬を精一杯楽しむために本楼へ集う学衆と師範代がいた。 1月28日(土)、合同汁講決行。傑作ペパーランド教室、モモめぐむ教室、柑橘カイヨワ教室、止観エンドース教室からリア […]
コメント
1~3件/3件
2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。