この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

イシスの季節は、どんどん移り変わる。華やかな感門之盟から5週間、あっという間に次の期が始まる。
この間、49[破]10人の師範代たちは、休む間もなくレポート、自分史グラフィック作成、課題本読書、そして師範の胸を借りての指南リハーサルと、できるかぎりの準備を尽くしてきた。今日10月17日、晴れての開講を迎えた。
正午に教室の扉が開くと、ほどなく学衆が登場した。
最初は、まんなか有事教室のTさん、12時28分に00番を投稿。
二番手は、赤ラン十徳教室のNさん、12時52分。こちらも00番。
00番セルフプロフィールは、やや凝った自己紹介お題である。開講前にあらかじめ配信してあるものとはいえ、一番乗りには気合も必要だ。その思い切りが稽古の大きな一歩となる。
三番手は、おにぎりギリギリ教室のSさんと、藍染発する教室のTさんが13:45と同時に投稿。こちらは勧学会の自己紹介であった、師範代がササっと自分の自己紹介を放ったのにアフォードされたに違いない。夕方以降、各教室に学衆が続々登校してきている。
教室には、開講にあたっていろいろな文書が届いている。師範代の挨拶や、稽古のかまえ(眼目)は、師範代自身が「こんな教室にしたい」
「こんな稽古をしてほしい」とあれこれ思案して書いたものだ。たとえば、まんなか有事教室の石黒好美師範代は「「できる」自分をこそ破ってほしい」という。
ある程度書けたと思ったら、あるいは、これ以上は進めないと感じたら、いちど手放して回答を教室に放ってください。「この程度で回答としてはいけないのでは」「頑張ったらもっと書けるはず」と一人で抱えこんでしまう自分を、まずは破ってください。
大人の稽古は複雑だ。ちょっと書いたところで、いや書く前に「こんなのを書きたいわけじゃない」などと自分にダメ出ししてしまう。初心にかえるというけれど、それがなかなか難しい。夏休みの日記帳や、ジャポニカ学習帳のマス目を埋めた頃くらいに戻って、書いてみよう。
テーマは「身近で起こった出来事」「いま世の中でおおいに気になっていること」と案外、普通だ。けど、その出来事を探すのがけっこう大変だったりもする。ここは[守]の方法を使うべし、注意のカーソル、フィルター、地と図…。稽古が複合的になっていくってこういうことなのだ。『遊刊エディスト』には[破]稽古のアーカイブがある。ネタに悩んだときのアドバイスもここに!
言葉を選び、紡いで、編んで、それを誰かに読んでもらうのは、人間の営みのなかで極上の喜びだ。さあ、書いてゆこう。すぐに「自分はこんなことを考えていたのか」とビックリするだろう。未知の自分に出会う旅へ、いざ出発!
原田淳子
編集的先達:若桑みどり。姿勢が良すぎる、筋が通りすぎている破二代目学匠。優雅な音楽や舞台には恋慕を、高貴な文章や言葉に敬意を。かつて仕事で世にでる新刊すべてに目を通していた言語明晰な編集目利き。
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。