ドギマギせよ!本楼の雑品紹介

2022/10/19(水)19:00
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3Dプリンターで作った松岡校長。真っ赤なネオンの看板。黒板に書かれた動かない時計。

 本楼には、たくさんの興味関心の芽が本の隙間からのぞいている。注意のカーソルがあちらこちらに向かっていき、なぜこんなものが?なぜここにあるの?と連想が広がる。よくわからないものもいくつもある。本楼は2万冊の本はもちろん、意匠やオブジェのすみずみまで知に翻弄される空間なのである。本記事では、本の楼閣にあるいくつかの雑品をピックアップしていく。写真を見ながら由来や意味を考えてみてほしい。

 

松岡正剛とあしらわれた椅子の後ろにはビリケンさんが2人。前回の伝習座にて松岡校長はこれを持って登壇し「訳のわかんないものが大事」と言った。

 

 イシス編集学校の運営本部である編集工学研究所は、豪徳寺駅から徒歩10分ほどの場所にある。豪徳寺は曹洞宗の寺院で、大きな赤門をくぐるとたくさんのまねきねこがいる。正式には「招福猫児」というのだが、実はこの猫、本楼にも一匹いる。

猫の背中には「7離 探源院 有志」と書いてある。2022年10月現在に行われている離が15離なので、およそ10年間まねきつづけているということになる。猫の平均寿命は16年ぐらいらしいので、まだまだこれからも本楼での一期一会を見守ってくれるだろう。

 

 続いては松岡校長フィギュア。10センチほどの小さな置物なのだが、つくりがしっかりしているため、持ってみると少し重く感じる。特徴はなんと言っても特攻服の背中に彫られた文字だ。「人生七十暴走古来稀」。松岡校長は、「70すぎたら、暴走族」と宣言していたということでこう書かれている。爺さんになるにしたがって過激になろうという決意の表明である。

 

 本の楼閣は書棚も独特だ。平面に整然と並べられた情報というよりも、立体的な文脈をもった躍動する知識が迫ってくる。最たるものは千夜千冊エディションが配置された構造物である。数寄屋建築士として京都六角屋の棟梁を務める三浦史郎さんの作品だ。三浦さんと松岡校長はかつて「ツッカム正剛」にて建築と本棚について対談した。

 

 

 本楼の小物たちは動く。トイストーリーではないが、いろんな人がオブジェを行き来させている。動きたがっている知につい行動を預けてしまうのだろう。本楼に訪れた際は、鳥の目、虫の目で多くのドキッやギクッに出会っていただくことをオススメする。そこには全体を凌駕するような、超断片ともいうべき部分が姿を垣間見せている。

 

一階の男子トイレでは用を足しながら、鑑真と対話できるしつらえになっている。この感覚、他では決して味わえない。

  • 山内貴暉

    編集的先達:佐藤信夫。2000年生まれ、立教大学在学中のヤドカリ軍団の末っ子。破では『フラジャイル』を知文し、物語ではアリストテレス大賞を受賞。校長・松岡正剛に憧れるあまり、最近は慣れない喫煙を始めた。感門団、輪読小僧でも活躍中。次代のイシスを背負って立つべく、編集道をまっしぐらに歩み続ける。

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コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。