この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

笑い・涙・仰天・懐古……感情も題バシティであった一日目の余韻も覚めやらぬまま、第79回感門之盟は二日目の幕を開けた。
佐々木千佳局長に迎え入れられた本日司会の二人は、感門1日目に37花放伝を言祝いだばかりの美濃越香織花伝師範と武田英裕錬成師範。新たな師範代を育成する講座をともに切り盛りした二人は、実は38守「ちょんまげスイミー教室」の師弟でもある。何を隠そう、武田にとっての初めての編集コーチが美濃越だ。
華やかな笑顔と明るい声の美濃越。スイミーをイメージした白いドレスも眩しく、今日の感門への期待も改めて高めてくれる。ちょんまげリスペクトの渋い色彩の和装でキメた武田は、知性の通奏低音が効いた落ち着いた語りが抜群だ。さっそく佐々木は二人の好対照な衣装を「おぼろ昆布と焼き海苔」と見立て、会場の納得と哄笑を勝ち取った。
ふわふわおぼろ昆布の美濃越は、日ごろは経済的・社会的困難を抱える子どもの居場所を作るべく東奔西走している。かつて編集学校のリアル講座「丸の内朝大学」では、まさにいま美濃越を呼び込んだ佐々木からトークにダメ出しを受けた過去があり、このハレの舞台で佐々木を見返すことを誓ってみせた。
ぱりぱり焼き海苔の武田は、美濃越に師事していた当時の編集稽古ノートを開陳して見せた。ゆるいタッチのイラストに彩られた「イメージの辞書」は、汁講では当時番匠だった鈴木康代から絶賛の的だったそうだ。編集学校活動の節目で武田はこのノートを見返し、今日ついに、感門司会として登壇している。
今回の感門も、美濃越・武田に劣らぬ、海草よりも長く切れない絆をあまた生み出すことだろう。
川野貴志
編集的先達:多和田葉子。語って名人。綴って達人。場に交わって別格の職人。軽妙かつ絶妙な編集術で、全講座、プロジェクトから引っ張りだこの「イシスの至宝」。野望は「国語で編集」から「編集で国語」への大転換。
ハグが好きな人だった。 オンラインが基本のイシス編集学校で、初めて松岡校長と対面したのは2010年5月15日、紀尾井町の剛堂会館。6離「表沙汰」でのことだった。苛烈な稽古でぼろぼろになっている離学衆を、校長は一人ひとり抱 […]
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コメント
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
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2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。