この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

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―――毎日新聞に連載コラム「田中優子の江戸から見ると」がありますが、イシス編集学校や松岡校長を江戸から見るといかがでしょう。江戸から見たら、どんなふうに言い換えることができますか。
一つだけ選ぶことはできないけれど、たとえば私塾、版元、茶屋を掛け合わせたようなもの(笑)。茶屋というのは、プロデューサーです。吉原の茶屋、芝居茶屋は、色んな人を誘って、見にきてくれた人たちのために様々な催し物や年中行事をつくって、みんなで楽しむ。編集学校みたいでしょう。
―――平賀源内が話題にあがりましたが、江戸時代に松岡正剛っぽい人はこの人、みたいな人はいますか。
江戸時代には多いと思いますよ(笑)。近代になると、作家や画家、要するに作者に脚光があたるようになりましたが、江戸時代にはむしろ松岡さんのようなコーディネーターに対してみんなが尊敬する気持ちがありました。平賀源内もそう、太田南畝(おおたなんぽ)や蔦屋重三郎もそうですね。人を見出す力がある。
―――近代になってから欧米流の著作者、つまりオーサー[author]に光があたるようになったんですね。話は変わりますが、優子先生の好奇心を広げていく傾向は幼い頃からですか。
うーん、そう言われてみれば、考えたことなかったです(笑)。本を読むということは、毎日やっていました。本を読んでいると、その本の中から別の新しい興味が湧いてきて、次の本を読む。それから兄の本棚を読むうちに新しい興味が湧いていくということもありましたね。
―――少女時代から読書好きだったんですね。
そうですね。そのせいか、他のこと、たとえばスポーツに興味を持つとか、そういうことは起こらなかった。やっぱり本棚を見ているとか、本の中の行間とか、そういうところから好奇心が広がっていく。そういうことが多かったですね。
―――好奇心を持つことが学びの根本だと思うんです。優子先生の場合、その秘密は読書だったということですね。
そうですね。だけどね、江戸時代に来日した外国人の記録を読むと、日本人はものすごく好奇心が強いと書いています。それはね、幕末の日本人だけでなくて、ザビエルとか江戸時代以前に来たキリシタン系の人たちもそう書いている。日本人はものすごく好奇心があって、宇宙のことや「なぜ雨が降るのか」ということ、色んなことを聞きたがるから、日本には天文学や科学の質問に答えられる宣教師を送るべきだと言われていたようですね。
(2019年12月4日 本楼)
―――日本人は素質として好奇心が強いと。それは勇気をもらえますね。好奇心に加えて、先ほど「素材ってすごく重要」というお話があったじゃないですか。その素材選びは、編集工学的にもとても大事なプロセスで、これって学習できることだと思いますか。それとも素材の目利きはその人に備わったセンスみたいなものですか。
そこがね、問題だと思います。さっきの「底上げ型」か、「エリート型」かという話にもつながりますね。編集稽古で、どういう技法を使えばいいとか、自分がやっていることを自覚することはできる。けれども、たとえば先日の写真家・十文字美信さんと江戸絵画コレクターの加納節雄さんのアルス・コンビナトリアPROJECTがあったじゃないですか。その方法を言葉で表現することはできます。でも、何と何を組み合わせたらすごいことが起こるというのは、方法の言葉だけでは説明できていない。
加納さんは、「ギリギリまでやって最後は直観だ」ということを言っているわけですよ。あるいは「最初に直観があって、それをギリギリまで詰める」。それがダメだったら次々に変えていく。つまり、最後は決断する。これとこれの組み合わせならいいと決断を下す。じゃあ、その決断をする時の能力ってどこからでてくるのか。鍛えられるのか。人から教えてもらえるのか。教えるようなものじゃないのか。これは大問題だと思います。一言でいえば、「鋭い感性力ですね」ということで済みますけど(笑)。
―――そうですよね、編集学校としても大問題です。
鋭い感性って、どうすれば磨けるのか。つまり、すごいアーティストになるためには何を勉強すればいいのか。そう簡単に答えは出ません。
13[離]退院式で小倉加奈子右筆と対談。
―――たしか[離]の退院式で、情報は外だけではなくて、自分の中にもたくさんあることを知ったとおっしゃっていました。[離]では幼なごころを持ち出すお題がいくつかありますね。ここに先ほどの大問題のヒントがあるんじゃないかなと思うのですが、いかがでしょう。
そうですね。私がさっき言った感性の起源や源泉みたいなものがあるとしたら、「幼いときに思った何か」にあるかと思います。それは人によってそれぞれ別々だから、一挙に同じことを教えるわけにはいかないのは当然ですね。
幼なごころを取り出して磨きをかけることはできるかもしれない。もちろん磨きをかけるときは、人に磨いてもらうのではなく、努力をしなければならない。そのとき、正しく努力をする方法があるんじゃないかと思うんです。
その人の元になるもの、それを私たちは先天的な才能と言ったりしますが、傾向としてDNAレベルでそれぞれ持っている得意分野があるのは確かなんだろうと思います。でも、それとは別に感性に磨きをかける方法というのがあって、それが今までの学校教育ではなかなかできない。一方、江戸時代の芸事の稽古や、私塾の学びではそこそこやれていた。そう考えると、もしかしたら、師から弟子に、人間存在全体から発するものが伝えられていくプロセスの中で起こるのではないかなというふうにも思えるんです。
そういう全身を通した学びは、今でも落語家や芸能、芸術の世界では残っていますよね。言葉の分野でそういうことはできるのか、非常に興味深いです。
つづく
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基本コース [守] 申し込み受付中
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金 宗 代 QUIM JONG DAE
編集的先達:宮崎滔天
最年少《典離》以来、幻のNARASIA3、近大DONDEN、多読ジム、KADOKAWAエディットタウンと数々のプロジェクトを牽引。先鋭的な編集センスをもつエディスト副編集長。
photo: yukari goto
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2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。