この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

多読ジム出版社コラボ企画第一弾は太田出版! お題本は「それチン」こと、阿部洋一のマンガ『それはただの先輩のチンコ』! エディストチャレンジのエントリーメンバーは、石黒好美、植村真也、大沼友紀、佐藤裕子、鹿間朋子、高宮光江、畑本浩伸、原田淳子、細田陽子、米川青馬の総勢10名。「それチン」をキーブックに、マンガ・新書・文庫の三冊の本をつないでエッセイを書く「DONDEN読み」に挑戦しました。
それはただモノではない
トイレにギロチン!? 憧れの先輩のチンコを手に入れたい! 先輩への切ない思慕からチンコを手にする。オムニバス形式の”チン事”や”チン現象”を通じて、チンコの存在価値を問う。
切られた男も黙っていない。「男にとってチンコがない状態がどんなに不安かわかるか? あれはセックスやオナニーにだけ使うものじゃない。オシッコするだけのものではないチンコは“安心のエネルギー体“なんだ」。
チンコが寄生した少女が体験する”チン変化”。チンコの扱いに苦戦し、勝手に勃起し、射精を初体験もする。どれだけ無知で恐怖で孤独なものなのかとバッタの思い出が蘇る。
チンコのない本体は子孫が残せない、チンコはチンコだけで子孫が残せる? チンコを取るか、彼自身を取るか崖淵で究極の二者選択に、少女が選んだ道は?
阿部洋一は、中学校時代、トイレや修学旅行の大浴場でお互いの性器を見てからかいあう空気があって、性器を見られるのがとにかく嫌だった。「男性器が取り外せたらいいのに」という願望。植物の一部のように性器を切り取る設定を描き進めていく中で内面を探るようなやり方で漫画を描く。無知で純粋無垢な少女たちは阿部の分身ともいえる。こんなにチンコについて愛し思い巡らす機会はない。
それは葉なしツボミあり
動物は生まれたときから生殖器官がある。だが植物は、ある時期が来て初めて生殖器官である花のツボミをつける。自分の命が危うくなると子孫を残すためだ。芽がツボミに変わった途端、無限に葉を作り出す成長点の性質が消える。やがて、花は咲き、タネをつくり、やがて枯死する運命となる。無性生殖で同じ性質を残すより、多様な性質で生き残るためには有性生殖が必要だ。
多くの植物たちは、花の中ではオシベとメシベを一緒に成熟させないが、万が一の場合保険をかけて最後は交尾して閉じていく。狭い花の中でもオスとメスとの戦略が繰り広げられる。
それは道具だろうか
「地球では、夫婦は交尾をしないとだめなのかな?」「でも私たちの身体は、私たちのものじゃなくて世界のものだから。私たちは世界の道具だから、交尾しない迫害されるよ」「ここが『工場』だからだよ。私たち、たぶん、遺伝子の奴隷なんだよ」。夫は俯いたまま動かなかくなった。
皆が工場を信じ、工場に洗脳され、従っている。身体の中の臓器を工場のために使い、工場のために労働している。夫と私は、ちゃんと洗脳してもらえなかった人たちだった。洗脳されそびれた人は、工場から排除されないように演じ続けるしかない。ここは巣の羅列であり、人間を作る工場でもある。
奈月はポハピピンポポピア星人からやってきた魔法少女だ。やがて、ポハピピンポポピア星人として目覚めた由宇や智臣と共に『地球星人』に問い掛ける。
村田紗耶香にとって小説は自由にできる聖域のような祈りができる教会でもある。ヒエラルキーがある残酷で辛い社会や嫌悪や、性への違和感など、ポハピピンポポピア星人のメから透かして見る。
それはただの生殖器か
生殖器はタブー視されがちだ。阿部が描くように切り取ってわかるモノなのか。生殖器は村田がいうように工場の道具だろうか。そこにただ存在するだけなのか? 切り取られてるからこそ成長する植物の命のしくみと対照に、生まれつき身体に付いてしまった生殖器官といまいちど対話してみたい。
Info
⊕アイキャッチ画像⊕
∈『それはただの先輩のチンコ』阿部洋一/太田出版
∈『植物のいのち』田中修/中央公論新社
∈『地球星人』村田紗耶香/新潮社
⊕ 多読ジムSeason10・春 ⊕
∈選本テーマ:版元コラボエディストチャレンジ
∈スタジオふきよせ(松尾亘冊師)
高宮光江
編集的先達:中村桂子。自転車で古墳を巡り、伝統芸能、茶の湯、総合芸術、苔を愛するライブラリアン。科学と絵本をつなぐ語り手を自認し、イシス歴は10年以上、多読ジムを現在も継続中。良き出会いをもたらすネットワーカーで、文楽の吉田玉男と編集学校の縁も繋いだ。
多読ジム出版社コラボ企画第二弾は工作舎! お題本はメーテルリンク『ガラス蜘蛛』、福井栄一『蟲虫双紙』、桃山鈴子『わたしはイモムシ』。佐藤裕子、高宮光江、中原洋子、畑本浩伸、佐藤健太郎、浦澤美穂、大沼友紀、小路千広、松井路 […]
コメント
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。