六十四編集技法 【01収集(collect)】皿の上に集められたもの

2020/01/01(水)18:52
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 イシス編集学校には「六十四編集技法」という一覧がある。ここには認識や思考、記憶や表現のしかたなど、私たちが毎日アタマの中で行っている編集方法が網羅されている。それを一つずつ取り上げて、日々の暮らしに落とし込んで紹介したい。

 

 

 「8月の始めに売り切れやって。間に合わんかった」。報告する知人は口惜しそうだ。夏の盛りに売り切れたのはチケットではない。氷菓や気の早い秋の味覚でもない。高知のお正月の定番「皿鉢料理」である。

 

 五穀豊穣に感謝する神事から生まれた同様の盛り鉢料理は、明治中期までは全国各地に見られた。多くの地域で自然消滅したが、高知には残り、冠婚葬祭に欠かせない存在である。一昔前は家庭や集落のおかみさん達が手作りしていたが、今は仕出し屋が運んでくる。生活スタイルの変化とともに作り手はかわっても、地元の人は親しみを込めて「さわち」と呼ぶ。

 

 海の幸、山の幸、川の幸など故郷の自然が恵んでくれる全てが盛られた皿鉢料理は、64技法の【01収集(collect):種類を限定して広く集める】の極みである。

 

 盛り込みと呼ばれる最もポピュラーなものは、酢の物や巻きずし、からあげ、てんぷらに魚の煮つけ等々に羊羹までが直径30〜50cmほどの大皿にのっている。フルコースなら前菜からデザートまでが一つところに豪快に詰め込まれている。

 

 収集されているのは食材や料理だけではない。

 

 懐石やコース料理とは異なり、皿鉢料理は一度作って宴卓に置けば給仕の必要がない。多少の人数の変動にも柔軟に対応でき、一皿で軽く4〜5人の胃袋を満たすことができる。難しい約束事もない。年寄りから子どもまで、各自で席を確保し、好きなものを各々勝手に取り分ける。これで、忙しい女性たちも共に宴席につくことができる。土地の人の知恵と工夫が皿の上に収集されているのだ。

 

 人生の節目節目に座に連なったもの同士、よく食べ、よく飲み、よく語る。悲しみも喜びも共に一つの皿を分け合っていただく。さわちには土佐の編集が今日も脈うち、変化を続けている。

 

(design 穂積晴明)

 

  • しみずみなこ

    編集的先達:宮尾登美子。さわやかな土佐っぽ、男前なロマンチストの花伝師範。ピラティスでインナーマッスルを鍛えたり、一昼夜歩き続ける大会で40キロを踏破したりする身体派でもある。感門司会もつとめた。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。