この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

モデルからモードへ渡る2週目に突入。稽古は式目演習だけにとどまらない。AIDAを住処としミディエーターを担う師範もまた、それぞれ闊達にその表象へと向かう。
デザイナーを生業とする、くれない道場・錬成師範の阿久津健は、花エディストのアイキャッチビジュアル制作を一手に引き受け、ヴァーヴァルからノンヴァーヴァルへメタメッセージを描出する。32[花]からはじまった花林頭(かりんとう)ロールに着替えれば、禅問答モードに肖り道場稽古を内外から揺らす。モードを変えるたびに多重視点がうまれ、ポリロールによって多様な編集的自己を体現する、旬の[花]らしいJustな一人である。
◆デザインワーク#1
プレワークの10夜タイトルから棟梁を貫く。ビジュアルイメージからアナロジカルな一種合成によって連想の先をデザインで示す。テキストからデザインへ、リテラルからモードへ往還し、象徴するツールの見立てからも影絵のようにターゲットが暗示される。
◆デザインワーク#2
方法日本といえば型、抜き型を擬いた大胆でモダンなモチーフの奥にも注目だ。藍色を背景に反物の寸法図もコラージュされている。テキストとテキスタイルの関係線も浮かびあがってくる。
”そもさん!”
「型は、なにを隠している?」
花林頭・阿久津によってM1(モデル)演習を終えたばかりの入伝生に渡された問いは、シンプルで深い。
一休さんと和尚が交わしたとされる、作麼生(ソモサンとよむ)・説破(セッパ)は禅道のスタイルである。リバースモードではぐくむ師弟関係は、方法日本には多数在る。
” せっぱ!”
からたち道場のハヤシは、その人の「らしさ」が型に表象されるのだと応じ、やまぶき道場のタカモトは「変化」と読んだ。既知とのズレや重なりをトリガーに変容力を託したのだろう。同じくやまぶき道場の二シムラは明治維新以前の日本人がもっていた「ミッシング・リンク(失われた環/鎖)」への接続だとテーゼする。
大いに編集思考を働かせ、共読が進みIF/THENの往来で再編集がかかると無意識のうちに多重視点がもたらされる。たくさんのわたし状態が、意識の自己を解放していく。外部モデルから自身の内部に取り込んだ情報によって、モードが創出される。
アート(ART)の語源がアルス(ARS)だと、編集学校に携わるものなら知るところだ。アルスとは技巧であり、方法使いの術ともいえる。
学衆から入伝生を経て師範代に成る、わずか7週間のメタモルフォーゼは急進的で深い。師範阿久津から放たれる「応」もまた技巧である。魔術のように次々と入伝生の執着に火をつける。
文 平野しのぶ(錬成師範)
アイキャッチデザイン・写真 阿久津健(錬成師範)
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イシス編集学校 [花伝]チーム
編集的先達:世阿弥。花伝所の指導陣は更新し続ける編集的挑戦者。方法日本をベースに「師範代(編集コーチ)になる」へと入伝生を導く。指導はすこぶる手厚く、行きつ戻りつ重層的に編集をかけ合う。さしかかりすべては花伝の奥義となる。所長、花目付、花伝師範、錬成師範で構成されるコレクティブブレインのチーム。
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。