この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

「子どもにこそ編集を!」
イシス編集学校の宿願をともにする編集かあさん(たまにとうさん)たちが、
「編集×子ども」「編集×子育て」を我が子を間近にした視点から語る。
子ども編集ワークの蔵出しから、子育てお悩みQ&Aまで。
子供たちの遊びを、海よりも広い心で受け止める方法の奮闘記。
タンポポの綿毛
マンションの自転車置き場の通路脇にタンポポがたくさん生えていて、綿毛がいくつもできていた。
立派な綿毛だね、吹いてみたらと8歳の長女を誘う。
種がよく熟していたようで、少し息を吹きかけるだけで飛んでいく。
株にはまだつぼみや花がたくさん残っている。いくつものステップを踏んでタンポポの花は綿毛になっていく。「たくさんのタンポポ」から「型」(情報のパターン)を取り出してみたいという「編集ゴコロ」がむずむずした。
マンションの通路脇に咲くセイヨウタンポポ
蕾(つぼみ)→花→綿毛。これって、タンポポの「ホップ・ステップ・ジャンプ」じゃないかなと子どもに投げかけてみる。
「どういうこと?」
最初は蕾。時間がたつと花になって、綿毛になる。いきなり綿毛ができたり、逆になったりはしない。そういう関係をホップ・ステップ・ジャンプ(三間連結の型)とよぶ。まさにこれってその一つだと思う、としゃべる。
3つの段階を見つけて写真に撮ってみようと即興の「お題」にしてスマホを渡す。
まだ緑色の蕾は固く、小さい。奥のほうに引っ込んでいて目立たない。花は鮮やかなイエローでしっかり存在を主張している。綿毛は、風に首をさしだすように、一番茎を長く伸ばしている。カメラを手にすると細部に気づきやすくなる。
5ステップ?
「これも撮っていい?」長女が顔をあげて、開きかけのつぼみを指さした。
「これは、蕾でも花とも言えないと思う」
開いている途中の花
もちろん撮っていいよと言いながら、もう一度よく見てみる。私には「花」に入れるが、子どもの目には別に見えるようだ。
14歳の長男にも聞いてみる。「咲いた後いったんしぼんで、綿毛の準備してるのもある」という。
二人によると、タンポポは「つぼみ→咲きかけ→花→綿毛の準備状態→綿毛」という5ステップで見るほうがしっくりくるらしい。
種をまくと
綿毛は種だ。長男が小さい時、庭の植木鉢の土にまいてみたら芽が出てきて育ったことがある。長女にも同じことをと思って、綿毛をビニール袋に入れて持って帰る。
苗ポット代わりの紙コップに土を入れ、水で湿らせる。タンポポの種を散らすように置いて、うすく土をかぶせる。あとは乾燥しないように時々見て、湿らせる。以前は十日ほどたって芽が出た。
綿毛は種でもある
湿らせた土の上に載せる
種まきした夜、長女が「タンポポを三段階にするなら、始まりは綿毛なんじゃないかな」と言い出した。
ピンときていない私のために、長女は図のような絵を描いてつづけた。「綿毛は種でしょ。種から始まって、芽が出て、花が咲く。まいてみて、この順番のほうがいいんじゃないかと思った」
長女の「図」
あっ、これは「鳥の目」の取り出し方だと感じた。タンポポのライフサイクル全体から俯瞰するとこうなる。
3ステップか5ステップか、からも離れている。子どものアタマの中でアブダクションはいつ起こるかはわからない 種まき遊びはそれをねらってしてした遊びではなかったので二重に驚いた。
お題レンズ
イシス編集学校内で子ども編集学校づくりを進めているミーティングで、「タンポポの三間連結」のエピソードを話した。
「そうそう」と<よみかき編集ワーク>ナビの得原藍が応じた。
「子どもとのワークだと、3つに分類しましょうといっても、3つじゃなきゃだめ?っていう子が必ずいたりしますよね。そういう時にどう返すのがいいのかなと考えたことがあります」
名古屋で寺子屋を開く野村英司からは「うちのタンポポの三間連結は【吹く】→【付く】→【怒る】かも。子どもが吹き飛ばした綿毛が服について、気をつけてねって怒っちゃったんです」。あるある。みんな、うなづく。
「タンポポ、おもしろいですね。タンポポだったら全国あちこちに生えてますし」と、0歳の女の子と幼稚園年少の男の子の「編集とうさん」である景山卓也が続けた。
話しながら「お題は、対象に対する注意のカーソルを励起するための仕掛けである」という松岡正剛校長のレクチャーの言葉がつながった。
子ども編集学校の編集稽古は、編集の「型」をマスターさせるためのものではなく、大人と子どもで共通に持てる認知的道具≒虫めがねのような「お題レンズ」を育てるようなものかもしれないという考えが固まってきた。
ホップ・ステップ・ジャンプ、松竹梅。
情報のパターンが見えてくる「お題レンズ」
タンポポのアフォーダンス
いつもならただ通り過ぎるだけで、知らないうちに枯れて別の雑草に入れ替わってしまう通路脇のタンポポも、「お題レンズ」をかざせば、多様多彩な情報を引き連れた「意味単位のネットワーク」として「注目」できるようになる。
翌週のミーティングの雑談で、景山卓也から「松井さんの話を聞いたので、タンポポを見かけたときに子どもといろいろやってみました」という話が出た。これだ!と思う。
タンポポがアフォーダンスするものは年齢によって変わっていく。
幼い時は綿毛を吹くところから。少し大きくなると、タンポポの茎の長さや根の長さに驚いたり、細工したりするようになる。
編集かあさん家では、10才ごろ、セイヨウタンポポと在来のカンサイタンポポの違いを見分けて、簡単なマップを作ってみたことがある。
また、セイヨウタンポポは明治期に野菜として移入されたと読んで、栽培して食べてみたこともある。思い返せば、これはクロニクル編集とのカサネだった。沖縄や北海道のタンポポ事情も気になる。
プランニングフィールド2022春が始まって1ヵ月半がたった。「お題レンズ」で見えてきたコトやモノをワイワイ交換する仕組みの実験が始まっている。
実家の庭に生えている在来タンポポとおぼしき種。
花の付け根の総苞がめくれていないことで見分けられる
<編集かあさん家の本棚>
■小学館の図鑑NEO『花』
■ポケット図鑑『日本の野草・雑草』成美堂出版
松井 路代
編集的先達:中島敦。2007年生の長男と独自のホームエデュケーション。オペラ好きの夫、小学生の娘と奈良在住の主婦。離では典離、物語講座では冠綴賞というイシスの二冠王。野望は子ども編集学校と小説家デビュー。
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コメント
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2025-06-10
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建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。