この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

「大きく深呼吸してから、回答してください♪みなさん、楽しいお稽古を!!」。
唐傘さしていく教室師範代の大塚信子が、緊張気味の学衆たちに向けて、守の二つ目の番稽古「アタマの中の探検」(002番)を放った。このお題は、アタマの中の部屋で意図の視線、すなわち、注意のカーソルを動かして情報を集めてくるものだ。
一番乗り回答には「お題の意図がよくわからない」と戸惑いが添えてあった。すかさず「いいですよ♪いいですよ♪」と大塚が指南を返すと、「こういう事なんですね。少しわかったような気がします。皆さまの参考になると嬉しいです。」と感想が届いた。
解き放たれたように、教室にはひっきりなしに回答が並ぶ。注意のカーソルは、部屋の左右上下はもちろん、部屋の外にまで飛び出し、使い勝手や心地といった目に見えない情報にも注目した。ダイナミックな回答に、大塚の相合傘を差し出すような指南が止まらない。
御指南いただきありがとうございました!
注意のカーソルが動く【範囲】を変えるだけで、カーソルの動き方
が変わるんだなぁと、また面白くなりました(笑)・ ・
突っ込まれるかもなーと思いつつ、たくさん挙げる名目があったの
で、部屋からはみ出して、いくつか書いてしまいました。
師範代の寛容でやわらかな捉え方がうれしかったです。・ ・
共読の体験に圧倒されながらも、発見があり、楽しくお稽古させて
貰っています。窓から見える様子も含めて、部屋にあるもの、とは
目からウロコでした。
自由な捉え方って魅力です。
唐傘さしていく教室の学衆たちは、一週間も経たぬうちに仲間のアタマの中を覗く面白さに目覚めた。どんな物事も自在に捉えられることにも気づきはじめた。傘を広げて、回して、差し掛けあう稽古の始まりだ。共読という力を備えた彼らの注意のカーソルは立ち止まらない。動き続けた先にどんな景色を見るのだろう。
阿曽祐子
編集的先達:小熊英二。ふわふわと漂うようなつかみどころのなさと骨太の行動力と冒険心。相矛盾する異星人ぽさは5つの小中に通った少女時代に培われた。今も比叡山と空を眺めながら街を歩き回っているらしい。 「阿曽祐子の編集力チェック」受付中 https://qe.isis.ne.jp/index/aso
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。