「わたしを擬くAIに編集される私」エディトリアル・レポートvol.3【共遊篇】

2022/05/07(土)08:13
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 問いに始まる、エディターシップ・トライアル2022春の『編集力 チェック』。一つめの質問「すきなものを3つ挙げてください」には全114名342個の数奇が寄せられました。アナロジカルな分析に挑んだのは48[守]師範代と師範による混成プロジェクトチームです。『二軸四方』の型を使って、社会のいま・兆しに注目しました。
 48[守]いつもトンネリアン教室の畑本ヒロノブ師範代は情報解析を専門とする土木エンジニア。眼目は”AIとのキソイ”から擬きの構造までも見据えた、未来的編集実装実験です。


 イチローを花鳥風月でいえば何になる?「わたし擬きのAI」は意外な回答をした。[守][破]ではすべてヒトが指南する。今はAIによる分類がハイパー化した2022年。師範代に寄りそうAIを用いて指南する未知の方法があるのではないか。〈二軸四方型〉での編集力チェックの分類に「わたし」畑本を学習させた「わたし擬きのAI」を取り入れてみた。

 日本語モデルによる事前知識をAIにインプット。全回答の5分の1をヒト(わたし)が花鳥風月で分類してAIに追加学習を与えた。
こうして「わたし擬きのAI」が誕生。AI分類に納得できる一方、違和感もある。数値化すると74%も「わたし」らしからぬ回答。AIとの差分をマッピングしてみる。

 

 冒頭のイチローは渡米のイメージから「鳥」としたが、AI分類は「花」。確かにメジャーリーグでの活躍として華があった。愛着ある小刀は手元で惚れ込む様子から「花」としたものの、AIは「月」に分類。確かに刃先は三日月に似ている。祭囃子と太鼓の音はリズムを意識して「風」としたが、AIは麗しいハーモニーを示す「花」を選ぶ。これらの差異が出た理由は? 事前知識元の日本語文章には、たくさんの他者の〈エディティングモデル〉が含まれる自己と非自己の方法の違いが回答に湧き出たのだ。AIにインプットする「わたし」の回答を増やせばAI分類のミスマッチを減らせるが、良いとは思わない。学習のホドを見極めることで、「わたし擬きのAI」の分類を師範代視点でリバースエンジニアリングして学べそうだ。

 日本語モデルの事前知識と、一部のヒトによる分類結果によって〈一種合成〉された「わたし擬きのAI」による分類が師範代の指南を動かす可能性を感じた。AIの本質は学習によって組み立てられた「確からしさ」を計算するネットワーク。いったん完成すると、ヒトと異なり感情変化の影響を受けないピュアな属性を持つ。AIのメカニカルな気質を理解し、自己とAIが力を合わせながら教室で遊ぶ師範代がいつか登場することを夢見るのだ。

 

(分析・図解・文/師範代畑本ヒロノブ)

◆◆エディトリアル・レポート2022春 シリーズ◆◆

”分ける”の極意。エディトリアル・レポートvol.1【感知篇】

「アンビバレントな’感’の行方」エディトリアル・レポートvol.2【照応篇】

  • 平野しのぶ

    編集的先達:スーザン・ソンタグ
    今日は石垣、明日はタイ、昨日は香港、お次はシンガポール。日夜、世界の空を飛び回る感ビジネスレディ。いかなるロールに挑んでも、どっしり肝が座っている。断捨離を料理シーンに活かすべくフードロスの転換ビジネスを考案中。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。