この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

交通事故で頭に金属を埋め込まれた少女が、自動車に対して異常な性愛を感じるようになる。カンヌでパルムドールを受賞した映画『TITANE チタン』の主人公は、社会倫理が徹底的に欠如した存在として描かれた。J・G・バラード原作でデビッド・クローネンバーグが映画化した『クラッシュ』に影響を受けた作品だ。テーマはハイパージェンダーの文脈で語られることが多いようだが、彼女のセクシャリティやモラリティはマン・マシーン化が加速した私たちの未来像を見せられているようでもある。
IoTが社会インフラ化し、身体が常時接続されるIoC(Internet of Cells)が絵空事ではない近未来。デジタル・マン・マシーンたちの社会はどこへ向かうのか。
ビッグテックによる監視資本主義への警鐘が鳴らされる一方で、メタヴァースやデジタル・エグジットといった動きに現代の中世化が見えると指摘するのは、メディア美学者の武邑光裕さんである。武邑さんによるISIS FESTA「情報の歴史21を読む」は5/18(水)19:30開催。エディションと合わせると、NEXTデジタルワールドが見えるはずだ。
エディションの帯には、「知がデジタル化し、私はサイボーグ化する。ほんとに?」とある。この惹句を受けるように、エディション内の千夜のリードにも疑問形が並ぶ。「電子端末がだんだん自立していった。ほんとに?」「プレゼンスの本質と輪郭は、ナマの心身と計算機械との融合からしか見えてこない。ほんとに?」「SNSと企業と客とコミュニティ。この四つが重なる決定的な際があるはずだ。ほんとに?」。
デジタル社会の未来像、リアル=ヴァーチャルな編集的世界像が思想哲学されないままに、私たちは「電子の社会」を生きようとしている。このエディションで問われる「?」にあなたであればどう答えるだろうか。まずは目次を紹介しよう。
前口上
第一章 デジタルただいま準備中
新戸雅章『バベッジのコンピュータ』8夜
フリードリヒ・キットラー『グラモフォン・フィルム・タイプライター』529夜
ポール・レヴィンソン「デジタル・マクルーハン』459夜
ハーバート・サイモン『システムの科学』854夜
ジェーム・E・カッツ&マーク・オークス編『絶え間なき交信の時代』948夜
ドン・タプスコット『デジタルチルドレン』92夜
土屋大洋『ネット・ポリティックス』1118夜
小川晃通『アカマイ』1582夜
坂内正夫監修『ビッグデータを開拓せよ』1601夜
第二章 サイボーグ化する
ノーバート・ウィーナー『サイバネティックス』
トマス・リッド『サイバネティクス全史』867夜
ジェームズ・サクラ・アルバス『ロボティクス』1662夜
ロドニー・ブルックス『ブルックスの知能ロボット論』1665夜
ダナ・ハラウェイ『猿と女とサイボーグ』1140夜
アンディ・クラーク『生まれながらのサイボーグ』1790夜
石黒浩『アンドロイドサイエンス』1688夜
第三章 インターネット全盛
アレクサンダー・R・ギャロウェイ『プロトコル』1756夜
ドミニク・チェン『インターネットを生命化するプロクロニズムの思想と実践』1577夜
ローレンス・レッシグ『コモンズ』719夜
ヤコブ・ニールセン『ウェブ・ユーザビリティ』
森健『グーグル・アマゾン化する社会』1162夜
マイケル・ファーティック&デビッド・トンプソン『勝手に選別される世界』1604夜
エリック・スティーブン・レイモンド『伽藍とバザール』677夜
武田隆『ソーシャルメディア進化論』1496夜
第四章 文明/電子機関/人工知能
池田純一『ウェブ文明論』1513夜
ジャロン・ラニアー『人間はガジェットではない』1513夜
松尾豊『人工知能は人間を超えるか』1603夜
ジェイムズ・バラッド『人工知能』1602夜
ダニエル・コーエン『ホモ・デジタリスの時代』1764夜
追伸 デジタル世界観は、まだ提案されていない
千夜千冊エディション『電子の社会』角川ソフィア文庫
2022年4月25日発売 1540円(税別)
チャールズ・バベッジの階差機関に始まるデジタル化の歴史を通観するのが第一章である。この進化と進渉の中途で、デジタルデバイスやシステムが私たちにもたらすものに疑問符を挟む必要性を示唆している。
第二章は、フィードバックを加えてシステムを作動させる「サイバネティクス」がキーワードだ。ロボット、サイボーグ、アンドロイドから人間を思考する。なかでもダナ・ハラウェイの「サイボーグ宣言」が新たなパースペクティブを提示した。
もはや全盛を超えて我々の日常であるインターネット。コモンズ、ユーザビリティ、ソーシャルメディア。その基盤、思想から注文、試行までが第三章になる。なかでもその世界定めに近い、ギャロウェイの『プロトコル』は、デジタル時代のワールドモデルを考える上でも欠かせない見方になっている。
ラスト第四章では、AIDAシーズン2のゲスト講師でもあった池田純一さんの『ウェブ文明論』から、VRの祖ラニアー、AI、そしてiGEN世代と、これからのデジタルワールドが展望される。ジャロン・ラニアーには『万物創生をはじめよう』という近著があるが、果たして我々はメタヴァースに新たな創世記を刻めるのか。ほんとに?
次代のデジタル世界観は、まだ提案されていない。それはリアル=ヴァーチャルな別様の世界観とともに提示されるべきものだろう。編集倫理とともにある編集的世界像をどう描くのか。知的日常を形づくるための内の編集工学エンジンと外の編集工学インターフェイスはどう設計されるべきか。
まずは『電子の社会』をマストアイテムに、『文明の奥と底』『デザイン知』『少年の憂鬱』『編集力』を合わせ読むことからどうぞ。
吉村堅樹
僧侶で神父。塾講師でスナックホスト。ガードマンで映画助監督。介護ヘルパーでゲームデバッガー。節操ない転職の果て辿り着いた編集学校。揺らぐことないイシス愛が買われて、2012年から林頭に。
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。