この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

2022年春、イシスコアを塗り替えた学衆がいた。48[守]板付Bダッシュ教室、宮島広司氏である。
これまでの「最年長学衆78歳」というスコアをなんと大幅に更新し、米寿での卒門を果たした。慣れないパソコン操作に、初めて耳にするイシスの編集用語の数々。それでも一本指打法で全てのお題に回答した。
実は、娘さんから「ボケ防止に」と勧められて入門した宮島氏。教室では“島さん”というニックネームで呼ばれていた。「年を取ると根気がなく、理解力に乏しく苦労している」と謙遜しながらも、見事な稽古ぶりで教室のペースを作り、「お題が出れば回答する」という稽古の基本姿勢を見せ続けた。「板付Bダッシュ教室が、見事全員卒門を迎えられたのは、島さんの存在が大きい」と師範代の小椋加奈子は振り返る。長崎の季節の花便り、師範代への感謝の言葉、仲間へのエールに、師範代も学衆もいつも励まされていた。
短い回答にこめられた、人生を感じさせられる深い言葉に、たびたび涙を流したのは師範代だけではなかった。編集稽古のなかで島さんは、妻の帰りを待ち、我が子との節分を思い出し、出張の飛行機を懐かしんだ。ないないづくしの子供時代の、楽しかった遠足、缶蹴り、トランプ遊びも、昨日のことのように蘇ってくる。
038番「カラオケ八段錦」で、島さんは「春の小川」の童謡を選んだ。
「私が80年くらい前に小学校で習いみんなで遠足の時など歌ったものです。最近このような小川も少なくなりましたが、みんなで守りましょう」
[守]の編集稽古が、幼な心や記憶を呼び起こすシステムであること、また歌が強力なトポスであることを感じさせられた回答であった。
お題が出されるたび、島さんは娘さんに電話したという。小椋師範代の出題は朝4時。したがって島さんが電話をかけるのも、早朝であった。
「ミメロギアて何ね?」
「カラオケで歌うような歌じゃなくてもいいのか?」
遠く離れて暮らす父娘は、編集稽古を介して、遺伝子(gene)だけでなく、意伝子(meme)でもつながっていった。
島さんは、人は何歳になっても挑戦できることを教えてくれた。情報の見方や、思考の「型」を学ぶのに、早すぎることも、遅すぎることもない。子どもは自分の可能性に目覚め、大人たちも、ずっと眠らせていた才能に気づきはじめる。編集は、すべての人をいきいきとさせる力を持っているからだ。
感門之盟で、「娘さん」は、イシス花伝所の田中晶子所長であることがあかされた。師範代の柔らかい編集力に触れ、たくさんの「わたし」を再発見した父と、これまで師範代を何百人も育ててきた娘。父は娘の仕事を少しだけ理解し、娘は少年時代の父を知った。
所長は、父の変化についてこう言った。「なんか、元気になった」と。そう、[守]の稽古は思考を加速させるだけでなく、人を元気にする何かがある。師範代が春の小川のように「咲けよ咲けよ」と、可能性を開花させる方法を持っているからだ。
「咲く」という現象もつぼみがこれ以上はじっとしていられない状態のことです。エネルギーが充満し、それが破れて先に出る――それが「咲く」ということです。おそらく「さくら」という言葉も「咲く」から出た言葉でしょう。
松岡正剛『花鳥風月の科学』
さくらは散ったが、49[守]はこれから。つぼみのみなさま、花を咲かせ、実を結ばせに、編集学校へ。
■[守]基本コース 2022春講座
2022年4月25日(月)~2022年8月21日(日)[定常プラン]☆満席御礼
2022年5月23日(月)~2022年8月21日(日)[速修プラン]★募集中
▼申込:https://shop.eel.co.jp/products/detail/361
※定常コースは満員御礼となりました。定常よりも短期間・高密度での稽古を行う[速修プラン]のお申し込みはまだ受付中です。
※再受講割もあります。速修プランのご案内はこちらから。
嶋本昌子
編集的先達:ハービー・ハンコック。全身ラテンは伊達じゃない。毎週フラメンコのタブラオで踊っていた情熱のお侠師範。流暢な英語を操るバイリンガルだが、気持ちが昂るとナチュラルに関西弁が出る。丸の内朝大学以来の校長のお髭ファン。
49[守]定常コースがスタートして3日目の昼。 まだ自己紹介も始まっていない脱皮ザリガニ教室(古澤正三師範代)の勧学会に、一人の学衆が登場した。「昨日面白い体験をしたので独り言で書いときます」 その体験とは、皿洗いと […]
「ごみしゅーしゅーしゃでーす!ごみしゅーしゅーしゃでーす!」 本楼中に大きな声が響き渡る。 教室フライヤーのプレゼン中、福井千裕師範代が、椅子を車に、積み木をごみに見立てて、ゴミ収集車ごっこをして遊ぶ3 […]
48[守]の19教室では、113名の学衆が見事、門を出た。4か月の間に、どんな教室体験があったのか。師範によるインタビューによって、学衆の「声」をお届けする学衆インタビューの第4回目、「仲間がいたから」編をお送りする。 […]
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。