この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

物理学者でノーベル賞の受賞者。京都市名誉市民で、全ての核兵器と戦争の廃絶を訴える「パグウォッシュ会議」の第1回からの参加者。『目に見えないもの』など物理思想に関する書籍を多数執筆。その人こそ「湯川秀樹」であり、今春の輪読座で取り組む初の物理学者である。
20世紀は科学や物理学にますます哲学が求められるようになった。その象徴が1930年にアルバート・アインシュタインが発表した原子核の崩壊エネルギーの公式が、原爆開発に用いられたことだろう。アインシュタインは、人類の大きな犠牲を払った原爆や国際連合の戦争抑止力の低さを痛感し、後に哲学者のバートランド・ラッセルなどの科学者・文化人たちとより強力な世界連邦の形成をすすめる「世界連邦運動」をはじめた。そこに加わった日本人が湯川秀樹だったのである。
21世紀に入り20年を過ぎたものの、ロシアのウクライナ侵攻でも「核」の問題は今なおその影をちらついている。アインシュタインの公式発表から100年近く経とうとする今も、解決に至っていないばかりか、ますます問題は深刻化している。輪読師のバジラ高橋によると、今の世界をおおっている「ヘーゲル主義」の二項対立には創造はなく、21世紀の課題解決は望めないと読む。その背景を次のように述べている。
コロナ禍に追い打ちをかけるウクライナ戦争に、日本経済は経常赤字に陥り、円は国際通貨の役割を終えるかどうかの瀬戸際にある。この状況下にあって、何が「正」で何が「反」かが明確でない。欧型の「善」と「悪」を判別し、「善」を推奨する議論もむなしくなっている。
ーバジラ高橋
ヘーゲル主義やヘーゲル論理学を脱するこれからの哲学を問いつづけた人こそ湯川秀樹であったとバジラは見る。バジラによると、その湯川の物理哲学の中には「長岡半太郎やアインシュタインやハイゼンベルグとともに、日本の空海や世阿弥や三浦梅園。東洋の荘子や墨子や李白が息づいている」という。ヘーゲル型の二項対立ではもはや編集しきれない課題に、西洋、東洋そして日本の哲学をもって向かいつづけてきたのが湯川秀樹であった。
輪読座「湯川秀樹を読む」は4月から9月の毎月最終日曜に開催。バジラお手製の図象解説を行った上で、湯川秀樹の著作を受講生で輪読する。予習不要・予備知識も一切不要の開かれた輪読座は今期もリモートで開催。オンライン形式にシフトして以来、毎回全国各地から受講者が集まっている。
なお、受講申込者にはバジラ高橋による湯川秀樹の思想とクロニクルをモーラした解説資料が提供される。21世紀を編集するための日本哲学を学ぶなら今だ。
日本哲学シリーズ 輪読座「湯川秀樹を読む」詳細・申込はこちら
上杉公志
編集的先達:パウル・ヒンデミット。前衛音楽の作編曲家で、感門のBGMも手がける。誠実が服をきたような人柄でMr.Honestyと呼ばれる。イシスを代表する細マッチョでトライアスロン出場を目指す。エディスト編集部メンバー。
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。