次の港へ向かう「そうてん座」

2022/04/20(水)09:12
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 声高らかに「オールよーい!」と師範が師範代に号令をかける。感門之盟の卒門式、壇上での不意打ちの号令は次の港に向かう合図になった。『チーム・そうてん座』では穏やかな森本康裕師範だからこその嬉しいサプライズだった。


 師範代はチーム名を二つ持っている。松岡校長が名付けた唯一無二の教室名と、師範代二人と師範一人で構成されるチーム名だ。『そうてん座』は森本師範、輪島師範代と私の三人のチームラウンジ名。キーワードは「ひっくり返す」。師範代二人の目指す教室らしさをベースに、森本師範が名付けてくれた。余白のある平仮名も楽しい。また、「学衆も師範代も師範も今までの見方をひっくり返すようなチームに」と、その言葉で緊張は未知に向かう期待となった。師範代は元々は守の学衆で、師範も元々は師範代だった。教室運営は戸惑うこともある。師範はそれを知っているからこそ、いつも背中を押してくれた。


 黒縁メガネ越しに見える優しい目が印象的で、着物を着るとより貫禄が溢れること間違いなしの森本師範。オーストラリアのブリスベン州に住んでいて、金髪ショートヘアがとってもチャーミングな輪島良子師範代(電束青猫教室)。異動で営業から事業部スタッフに職種が変わり、文章に触れる機会を増やしたいと入門した(断然ユイマール教室)の三人チーム。小さい頃はテレビゲームに熱中した共通点を持っている。でも、メインキャラクターは被ることがなさそう。森本師範は侍、輪島師範代は魔法使い、私はシーフ、パーティーを組めばどんな冒険も楽しんで進んでいくようなメンバーだ。


 感門之盟では師範代が学衆に書いた卒門証をZOOMのブレイクルームで渡す(=学衆讃証)。一日目が「守」、二日目が「破」、学衆讃証を終えた二日目はチームごとの座談会となっている。二日目のブレイクルームで学衆Mさんが「師範と師範代はどこで会話をしているのか、気になっていた」と話してくれた。私も学衆の頃に同じ疑問を感じていた。師範の勧学会への登場頻度は師範代ほど多くはない。ポケットモンスター 赤・緑 でいうとトキワの森で遭遇するピカチュウのような存在だ。だからこそ、師範が来ると嬉しくなる。師範はさっと現れて、編集を日常の生活やビジネスに置き換えた言葉で教室の編集熱を高めてくれる。教室の回答に「オッサン」が出てくると、勧学会では「たくさんのわたし」として「オッサン」を取り入れる。振り返りにビジネス用語が出てくると、イノベーション(新結合)と編集の共通点を紐解いた。また、教室・勧学会・別院で動いている企画をハイキングに見立てた「歩き方ガイド」、感門之盟を野外フェスに見立てた「タイムスケジュール」も届けた。


 卒門式の深夜、チームラウンジでは輪島師範代が師範を「背中を支えてくださった懐の深さと頼り甲斐とを全身で感じました!」と伝えて、「森本パパ」と新しいネーミングが生まれた。学衆を卒門に導いていくポイントを見極める姿は上司のようで、師範代の成長を見守る安心感は船の機関長のようだった。そして、卒門式での出向の合図は、師範代二人の「さしかかり」を信じている親心を感じた。『そうてん座』の船は、モーターボートのように、フェリーのように進んだ。イカダ、ホバークラフトとなって進むこともあった。準備期間も含めた半年間は見方をひっくり返し続けた航海となった。


 3月下旬、チームラウンジに鍵がかかった。桜の咲く季節に『チーム・そうてん座』は数年後の集合場所となった。イシス編集学校を通じて再開する日まで、新しい港に向けて出発する。住んでいる場所も遠く、ミーティングはオンラインだったため、いつの日か皆で集まって話に花を咲かせたい。次の『そうてん座』の船は、屋形船だ。

  • 與儀香歩

    編集的先達:祖母。自らライターを志願し、エディストデビュー。沖縄出身で神奈川、大阪、東京と10年間の渡り烏生活を過ごす。ポケモンカードデッキの構築とコレクションにハマるZ世代。優しい笑顔が魅力で、その親しみやすさから1日に3回道を尋ねられたこともある。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。