【AIDA】リアルが持っている代替不可能な感覚情報がAIDAで鮮明になった<武邑光裕さんインタビュー>

2022/04/16(土)10:00
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 メディア美学者・武邑光裕さんは、1980年代よりメディア論を講じ、インターネットやVRの黎明期、現代のソーシャルメディアからAIにいたるまでデジタル社会環境を長く研究する専門家だ。ドイツ・ベルリンを中心としたヨーロッパにもアメリカにも精通している。

 

 その武邑さんに、AIDA Season2「メディアと市場のAIDA」のボードメンバーを務めていただいた。特に、第3講の渋谷パルコDommune第5講ではおおいに語っていただいた。武邑さんはAIDAをどう感じたのか。第6講でメッセージをいただいた。(聞き手・米川青馬)

 

――AIDAはいかがでしたか?

 

 皆さんとリアルに対面してお話ししたことが、何よりも刺激的でした。編集工学研究所の本楼でも、渋谷パルコのDommune(第3講)でも、リアルが持っている代替不可能な感覚情報が鮮明になりました。もちろん以前はリアルの集まりが日常的にありましたが、当時はリアルが当たり前で、その価値に気づきませんでした。Zoom時代になったからこそ、リアルで会う重要性が理解できたのです。

 

 おいしい食べものを映像で見るのと、実際に食べるのはまったく異なることです。同じように、オンライン会議とリアル会議では感覚情報の質と量が本当に違います。AIDAでは、Zoomで排除された情報の大きさを実感しました。オンライン会議はたしかに便利ですが、オンラインでは得られないものが間違いなくあります。人は感覚する生きものであることがよくわかりました。

 

 

――先ほどお話ししていた「antiwork運動」はなぜ日本で起きないのでしょうか?

 

 「antiwork運動」は、アメリカ最大の掲示板サイト・レディット(Reddit)の「antiworkスレッド」が大人気になって巻き起こったものですが、ヨーロッパでも同様の動きが起きており、すでに巨大な潮流となっています。「仕事をやめよう」「互恵的共同体で暮せば、働かなくても生きていける」と考える人、そして実際に職を離れる人が、欧米でどんどん増えているのです。Zoomやリモートワークの普及、マイクロスクールの広まりなどが、antiwork運動を後押ししています。

 

 日本でantiwork運動が広まらないのは、日本人が個人主義を誤解しているからでしょう。日本は個人主義を嫌います。利己的で集団に馴染まない性質として、ネガティブに捉える傾向が強くあります。対してヨーロッパでは、若者たちにまず個人主義を教えます。徹底的に利己的であれ、というのです。個人の利己性がベースになければ、市民として社会的公益性を認識した行動を取ることはできない、と考えるのがヨーロッパです。社会の前提として個人があるからこそ、antiwork運動が起こりうるのです。

 

(写真:後藤由加里)

 

 

※武邑さんについてもっと詳しく知りたい方は、こちらの記事もぜひ!

 

  • 米川青馬

    編集的先達:フランツ・カフカ。ふだんはライター。号は云亭(うんてい)。趣味は観劇。最近は劇場だけでなく 区民農園にも通う。好物は納豆とスイーツ。道産子なので雪の日に傘はささない。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。