【AIDA】AIDAでは抽象度の高い議論と身の回りの話が無理なくつながる<村井純さんインタビュ―>

2022/04/04(月)10:00
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 村井純さんは「日本のインターネットの父」である。村井さんが慶應義塾大学/東京工業大学間でコンピュータをネットワークでつなげたのが、日本のインターネットの誕生と言われている。その後も、黎明期からインターネットの技術基盤づくりなどに力を尽くしてきた方だ。いま僕らが日本で、日本語でインターネットを使用できているのは、村井さんのおかげといって過言ではない。

 

 その村井さんに、AIDA Season2「メディアと市場のAIDA」のボードメンバーを務めていただいた。半年間AIDAに参加して、村井さんはどう感じたのか。第6講でメッセージをいただいた。(聞き手・米川青馬)

 

――AIDAはいかがでしたか?

 

 私は仕事柄、さまざまな議論の場に参加していますが、ほとんどの場はドメインが明確です。たとえば、テクノロジーに関する会議はテクノロジーの専門家たちが話し合い、メディアについての会議はメディアの専門家たちが対話します。そうした場では、限られた範囲のなかで抽象度の高い議論が行われます。

 

 ところが、AIDAには多様な個が存在しています。ボードメンバーはそれぞれ専門性が違い、受講者の皆さんもいろんなところから集まっています。そうした面々が議論しながら離散的な知に関係線を引いていくのが、AIDAの場の特色です。抽象度の高い議論がある一方で、身の回りの具体的な話もよく出てきました。驚いたことに、AIDAでは抽象度の高い議論と身の回りの話が無理なくつながるのですね。両者が完全に整合しているのです。そうしたことが起こる希少な場です。

 

 「メディアと市場のAIDA」というテーマは話のきっかけでしかありません。AIDAでは、テーマよりも、議論がつながっていく空間のほうが重要なのです。その空間をプロデュースする松岡座長とスタッフの皆さんの場づくりがすばらしいと思います。

 

村井さんの著書『インターネットの基礎』(KADOKAWA)

 

――第6講で「インターネットには個人と地球しか存在しない」とおっしゃっていましたが、そのインターネットによって世界はこれからどうなるのでしょうか?

 

 実際には、個人と地球のAIDAに「国」があります。個人が多様である一方で、国は限られた人数の権力者が動かしており、それとは別にパンデミックや気候変動が起きている地球が存在するわけです。今後は、この3つをどう結びつけてプロデュースするかが大問題になるでしょう。

 

 結局は、私たち一人ひとりが、個人と国と地球のAIDAを考えるほかにありません。そうやって自律的に考える個人が、それぞれ自分なりのアクションを起こすことが世界を変えていくのです。世界は今後、一人ひとりの働きかけを無視できなくなるはずです。個の埋没などしている場合ではありません。AIDAのような場で抽象度の高い議論と身の回りの話を結びつけながら、自分で考え、動きましょう。

 

(写真・後藤由加里)

 

  • 米川青馬

    編集的先達:フランツ・カフカ。ふだんはライター。号は云亭(うんてい)。趣味は観劇。最近は劇場だけでなく 区民農園にも通う。好物は納豆とスイーツ。道産子なので雪の日に傘はささない。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。