いっそ師範代をテーマに物語を書けばよかった。「律師の部屋」【78感門】

2022/03/26(土)18:03
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いっそ師範代をテーマに物語を書けば良かった。

 

旬然たる学衆を迎えて編集稽古をたどる「律師の部屋」。感門出張編として本楼の中央に設えられたステージで、47破「オブザ・ベーション教室」の学衆・新坂彩子さんが稽古の日々を振り返った。進行役である律師の八田英子が、師範代や師範、学匠、番匠らの視線を感じながら、いたずらっ子のように質問を投げかける。

 

イシスでは「師範代は鬼になれ」と言われていますが、稲垣景子師範代はどうでした?

 

学衆が思わずのけぞるような全部カットも辞さない稲垣の指南ぶりは、エディストでも掲載されている。「鬼」という言葉に、新坂さんの表情がふっと緩んだ。八田がそれを見逃すはずはなかった。うんうんと目を輝かせながら、新坂さんの言葉を待った。

 

もう、デフォルトが「鬼」なんです。「いいですねぇ」と気持ちよく褒めてくれたかと思えば、「…ですが」と続けて奈落に突き落とす。褒めてくれるのが「一」なら「九」は鬼でした。

 

物語編集術の稽古を振り返り、「ここ曖昧だなぁ、ひとまず回答してしまえ」というところには、必ずや稲垣師範代の指摘が入っていたと、はにかみを見せた。コツコツと積み上げていくタイプの新坂さんにとって、書き上げた回答を思い切って手放すことができなかった残念もあったという。


一方で、手放すことで得るものがあったことを教えてくれたのが、新坂さんと同じ守教室で学んだWさん (47破「未知トポ教室」小桝裕己師範代)だった。昭和デカダンの哀しみを纏った物語で、アリス賞を受賞。八田の呼びかけにオンラインで応じた。Wさんも新坂さん同様に、稽古では回答をなかなか手放すことができなかったという。

 

「これ、めっちゃいい」とアイデアにとらわれるあまり、前に進めなくなったんです。

 

それは物語編集術で、原作の映画から新しいワールドモデルに仕立てていく「翻案」の稽古での出来事だった。学衆の不足に目がない師範代の小桝が、Wさんの回答にアドバイスとして届けたものだ。

 

イシスには「グッドアイデアからも自由になれ」という言葉があります。思いついたアイデアでそのまま突っ走るのでなく、さまざまに《方法》で揺らし、ほんとうにこれでいいかと問い直す。最初のアイデアにとらわれ過ぎず、いろいろな角度から新たなアイデアを出し、磨き、発酵・熟成させていきましょう。

 

実際、Wさんは手放すことで物語が進み始めたという。八田の隣で新坂さんが大きく頷く。全取っ替えを求めた稲垣も、そのことを伝えようとしたのではなかったのか。新坂さんを見守る稲垣が目を細める。モニター越こうから、Wさんが編集稽古を懐かしむように言葉をつないだ。

 

いいと思うことを手放すことで、流されてみるのもいい。言われたことをやってみることで、思いがけないものに出会えるから。

 

師範代が指南に託した思いが、学衆の言葉となって再生されていく。

 

師範代がそのままでいいよと回答を受容してくれるなら、学衆にとっては、それはそれで嬉しいものかもしれない。けれども見方を変えれば、編集の可能性をあきらめ、詰まらないものになってしまったことを意味する。詰まらないとは、ただ面白くないというのではなく、編集の余地がないということだ。

 

編集稽古に恋々とする師範代が、そんな詰まらぬ稽古に満足するはずはない。稲垣はもとより、小桝も学衆の不足を我が事のように愛して斬り込んでいく。新坂さんとWさんと共にに学んだ守教室「アイドル・ママ」の師範代・新井和奈もまた、「スパルタ・ママ」モードを愉しみ、Sっ気たっぷりの指南で学衆を虜にしたという。師範代は、一仏九鬼でも足りぬくらい、可能性を求め、たくさんの方法に挑みたいと、常にウズウズしているのだ。

 

写真:後藤由加里

  • わたなべたかし

    編集的先達:井伏鱒二。けっこうそつなく、けっこうかっこよく、けっこう子どもに熱い。つまり、かなりスマートな師範。トレードマークは髭と銀髪と笑顔でなくなる小さい目。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。