この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

「不安が一気に飛びました!」。48[守]平蔵もっぱら教室の汁講を終えると、学衆Mの声があがった。開講以降、お題は次々届き、師範代の妹尾高嗣に続いて、師範・番匠・学匠と指導陣が続々登場。夢中で稽古してきたものの、誰の顔も見えずに不安ばかりが募っていたのだ。勇気を振り絞って参加した汁講はあたたかい場所だった。
柿チョコ、トリュフチョコ、ポップコーン、ビターチョコ。画面の向こうで自分をお菓子に見立てた自己紹介は笑いっぱなし。思い切って「どうしたら学んだ型を身につけられますか?」と尋ねてみると、画面の向こうの指導陣が一様に前のめりになった。「自分の不足は教室の他者のアタマを借りればいい」「型は私たちの日常に潜んでいる」「日常を面白がって見ていくと必ず型と繋がるときがくる」と口々に熱く、優しく、明るく語ってくれた。
年末になると第2回番ボーが始まった。「まずは速攻」と学衆Iから第一投が届く。続いて学衆Mから「Iさんに刺激をいただきまして、途中でいちどエイ!」と部分回答だ。教室名に肖って平蔵に着替えた妹尾が即応する。「あの手この手でミメロギアの捕縛へと立ち向かうのは我々”チーム平蔵”のやり方よ」。汁講で不安を安心に変えた学衆の番ボー稽古が一層加速する。「平蔵親分、年の瀬の大忙しの中も、見守り改めありがとやんす」。いつしか学衆も平蔵モードとなった。
年が明けても稽古は止まらない。「正月に騒がしくて面目ない」と声があがれば、「ネットが使えない状況に突入します、ご心配なく!繋がれば送ります」と稽古に余念がない。鬼となった平蔵の指南を浴びてエントリーを終えた学衆たちは口々に振り返った。
今宵は、もう1本、おつかれ生をいただきます。
妹尾師範代、おかげさまでVer10まで投稿できました。
目盛すらわからなかったミメロギア
みなさんのおかげで実験と実感の初稽古となりました。
こっそりみなさんの回答をチラ見したり、師範代のアドバイス
からアイディアをもらったり、今回も学びある番ボーでした。
奇妙な教室名に好奇心をそそられることから始まった守の編集稽古。師範代による汁講の設えとキャラ変指南に学衆の稽古の構えが共鳴して、第2回番ボーで教室が様変わりした。48[守]も残すところ一か月。平蔵の次はどんなキャラクターが登場するのか?弥次喜多か?銭形平次か?
汁講開催日:12月22日(水)
参加:学衆 和泉隆久、宮本千穂
妹尾高嗣師範代、鈴木康代学匠、白川雅敏番匠、師範阿曽祐子
阿曽祐子
編集的先達:小熊英二。ふわふわと漂うようなつかみどころのなさと骨太の行動力と冒険心。相矛盾する異星人ぽさは5つの小中に通った少女時代に培われた。今も比叡山と空を眺めながら街を歩き回っているらしい。 「阿曽祐子の編集力チェック」受付中 https://qe.isis.ne.jp/index/aso
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。