イドバタイムズ issue.3 そのコミュニケーション、生きてますか?―「ことば未満ラボ」レポート

2022/01/15(土)07:54
img POSTedit
イドバタイムズ issue.3
編集学校の方法を子どもたちのために外へつなぐ。
「イドバタイムズ」は子どもフィールドからイシスの方法を発信するメディアです。

 

子どもフィールドに「ことば未満ラボ」がオープンした。まだ言葉があまり話せない子どもとできる編集ワークを作り、実験する場である。子どもとの相互編集はいかように広げられるだろうか。

 

12月12日に開催された第一回目のワークは「お絵かきリレー」。ひとつの絵に参加者が順番に線を加えていき、どんな絵になっていくかを楽しむ遊びだ。編集かあさん・浦澤美穂の発案である。
自分の番がきたら「この絵は何に見えるか?」「何になりそうか?」と考えながら、新たな線を自由に加えていく。子どもなら、思うがままに線を描かせる。描き加えるごとに絵のバックグラウンドにあるイメージ(地)が移り変わっていくと面白い。

 

スタートは、浦澤が描いた楕円に1歳のみちちゃんが思うがままに線を加えた絵。
②そこへ1歳半のみかちゃんが線を加えた。(母はレディ・ガラ教室師範代の長島順子)
③ここから大人も参加。原田祥子は、楕円をトラックに見立てて駆けっこを応援する人をのぞかせた。
④松井路代は楕円を「ファイヤー!」と光らせて、「地」をガラリと変えた。
⑤光るのなら…とカミナリ雲を加える吉野。
⑥松井がさらに目を加える。

 

お絵かきリレー

 

 

「お絵かきリレー」は、伝言ゲームのようでもあり、絵しりとりのようでもある。みなの注目は、描いた人の「つもり」と読み取った人の「つもり」のあいだにある。このズレを面白がった。
わざとずらして描いた人はおらず、誰もが回ってきた絵に最適な線を加えようとした。ここには「イメージメント」が動いている。

 

コミュニケーションはイメージが伝わらないと成立しない。イメージは状況、あるいは小さな世界と言える。例えば、触っていいものと良くないものの判断がついていない子どもは、その世界のしくみ、および全体像がわかっていない。その子にその世界に紐づかない単語で注意して、「言ったでしょ!」といっても何も届かない。言葉以前にイメージ(世界)を子どもにつなげる。このことをイシス編集学校では「イメージメント」という。

 

イシスの稽古では「伝わる」快感を体験する。大事なことまで摩滅しそうな「わかりやすさ主義」から抜け出す快感だ。その経験から、編集を使えば子どもとの気持ちのやり取りがうまくいきそう、豊かになりそう、という予感を得る人は多い。まだ言葉があまり話せない時期の子どもと分かりあいたいと願う親にとっては、なおさら期待がふくらむ。
ただ、その期待の先に、意識せず、仕上がりのイメージが浮かんでいることも多い。これは、子どもが言い間違いをした時に、親や大人から、ちょっと冷やかした言葉や残念そうな表情を引きだしてしまう。子どもはそれを見て敏感に反応する。自由な想像力の育ちにブレーキをかけかねない連鎖。親にも子にもがっかりなことだ。

 

今回の「お絵かきリレー」実験は、「わかりあえる」という幻想を良い意味で裏切ってくれた。見たことのない絵が飛び出し、自由にイメージを受け渡しあえた。その場でふくらむ生きたイメージだ。
肝心なのは、絵を仕上げることではなく、次の線をどう描くかを考えることをいかに面白がるか。連想やアプローチの方法という編集をいかに面白がるかだ。子どもフィールドでは今後もこの問題を考えていきたい。

 

お絵かきリレー

スタートしてから10分。完成したそれぞれの絵。

 

文:吉野陽子

 

  • イドバタ瓦版組

    「イシス子どもフィールド」のメディア部。「イドバタイムズ」でイシスの方法を発信する。内容は「エディッツの会」をはじめとした企画の広報及びレポート。ネーミングの由来は、フィールド内のイドバタ(井戸端)で企画が生まれるのを見た松岡正剛校長が「イドバタイジング」と命名したことによる。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。