ミポリンを追いかけて―44[守]師範代・圓尾友理

2019/11/14(木)21:10
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 しばしの沈黙だった。

 

 44[守]第1回の伝習座を欠席した師範代・圓尾友理。4日後にスカイプで伝習座のフォローを受けた際、師範の景山和浩から「なぜ師範代を目指そうと思ったのか」聞かれた時のことだ。

 

 少しもじもじした表情で、圓尾は言葉を選ぶように語り始めた。

 

 「学衆のとき、浦澤師範代の声が届くのが楽しみでした。言葉でわくわくさせる師範代てすごいと思いました。浦澤師範代と同じところに立ちたくて、師範代を目指しました」

 

 浦澤師範代とは、41[守]とびしまアストラル教室の師範代だった浦澤美穂のこと。編集への興味はある。でも、それ以上に応援するように言葉をかけてくれた浦澤へのあこがれがあった。それが圓尾のエンジンとなり、2019年10月開講の44[守]でついに師範代デビューを果たした。

 

 開講前、師範詰所に届いた浦澤からのエールに、圓尾は明るく答えた。「いただいた楽しさを次に引き継げるように学衆さんと一緒にファインダーを覗きます!」

 

 教室名は「AIファインダー教室」。8人の学衆との稽古を溌溂とつづける圓尾にも、きっと浦澤と同じ景色が見える日が来るだろう。

 

感門之盟で校長からもらった「美穂゚りん」の書を掲げる浦澤師範。通称ミポリン。

 

  • 景山和浩

    編集的先達:井上ひさし。日刊スポーツ記者。用意と卒意、機をみた絶妙の助言、安定した活動は師範の師範として手本になっている。その柔和な性格から決して怒らない師範とも言われる。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。