ISIS 20周年師範代リレー[第27期 鵜養保 飄々と方法をぶつけ合う神出鬼没の実験者]

2021/08/13(金)09:00
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第27期 鵜養保

2000年に産声をあげたネットの学校[イシス編集学校]は、2020年6月に20周年を迎えた。第45期の師範代までを、1期ずつ数珠つなぎにしながら、20年のクロニクルを紹介する。

◇◇◇

2012年春、東京スカイツリーが開業。東京に新たなランドマークが誕生した季節に、「クルマ好きのおじさん」が編集学校に教室を掘っ立てた。27[守]すばるバンパー教室の鵜養保師範代は、少年の目の輝きをもった、方法的チャレンジ精神旺盛な編集コーチだった。

 

飄々とした語り口で、学衆の回答を楽しむ姿勢が一貫していた。半ば独りごとのような調子の中に、鋭い方法的考察と洞察がちらりと見える。発言の冒頭では娘の近況報告などで読み手を和ませつつも、指南で学衆の思考プロセスをひもとく手際は本格派だ。得番録のタイトルは「輝きの衝突実験録」とくる。多様な方法をぶつけ合い、そこに散る火花に目を爛々とさせているのだ。

 

クルマ好きのおじさんの本業は、 海外赴任もこなす金融マンだ。だが、イシスでの鵜養を知る編集学校関係者の多くは、鷹揚・茫洋のこの男が、どんな調子で本業をこなしているのか想像できないと感じている。感門之盟の晴れ舞台では青のつなぎ姿だった。

 

ロンドン五輪閉幕と同時の、閉講時の「わしもいつかは、また、学衆をやってみたい」という呟きは、2年後の33[守]で実現させた。懐の深いマネジメント力を買われ、[守]師範としても活躍。現在はハイパー・エディティング・プラットフォームAIDA師範代として、実業の最前線に立つビジネスマンたちの学びをリードしているが、ゆったりとした場作りの腕は健在だ。フランスでMBAも取得したがそれも世界の一部に過ぎないことがイシスで見えた。だからここは「もっとラテンな人生が手に入る場所」なのだという。少し謎めいている鵜養は、イシスの庭で往還の冒険をつづけている。

 

◎師範代メッセージ◎


 

>あのときメッセージ>

SNSやスマホが普及して人々が新たな繋がりに目覚めた2012年に開講した27守。
ありきたりの「いいね」では物足りない100人を超える学衆の皆さんがネットの教室で時には競い時には共感しながら、イシス編集学校ならではの無二の絆を築きました。

 

>これからメッセージ>

「様々な私」編集で広がる希望と可能性。わがイシス、此処に在り。

 

 

すばるバンパー教室 鵜養保

 


 

●あの日!あの時!千夜千冊!●

〇みんなが知らない「読む」の核心
1477夜 メアリアン・ウルフ『プルーストとイカ』

…2012年07月14日

 

〇母語を棄てたブッダがルーマニアにいた
1480夜 パトリス・ボロン『異端者シオラン』
…2012年08月15日

 

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  • 川野貴志

    編集的先達:多和田葉子。語って名人。綴って達人。場に交わって別格の職人。軽妙かつ絶妙な編集術で、全講座、プロジェクトから引っ張りだこの「イシスの至宝」。野望は「国語で編集」から「編集で国語」への大転換。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。