千悩千冊0021夜★「ブラインドタッチができません」 20代男性より

2021/05/03(月)09:54
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間寅辰さん(20代・男性)のご相談:

タイピングに関するご相談です。
前々から、いわゆる「ブラインドタッチ」なるものを身につけたいと思ってきたのですが、それを練習する機会を失してきました。親指・人差し指・中指の三本だけで、キーボードを打っています(たとえばエンターキーは中指で打っているように思います)。ポッチのある定位置に手を戻すという習慣さえ身についていません。

とはいえ、ものすごく打つのが遅いというわけでもなく、これでも何とかやりくりできているのですが、指の使い方が偏っているがゆえに肩のあたりがヘンなふうに凝るのではないかと疑っています。加えて、先日の感門之盟でzoom担当をされていた皆さんの軽やかなタイピングを目にし、もう一度トライしてみたくなりました。「えっ、デジタル世代なのに…」と言われる状態からもいい加減抜け出したいとも思っています(むろんタイピングの型が身についただけで機械に強くなれるわけではありませんが)。

そんならつべこべ言わず練習しろよ!という話でしかないといえばそうなのですが、しかし、以前一度練習を試みたとき、我流と正当のはざまで超スロータイピングな期間が生まれてしまって、仕事の文書などが気合いで何とかなったとしても、イシスの師範代ロールを担う際にこのスピードだったらいくら時間があっても足りない…という恐怖に駆られ、やめてしまいました。

型を身につける過程での不自由を乗り越えることで、これまでとは異なる自由が得られる、したがっていっときの不自由には多少なりとも耐えねばならない…とは分かっているつもりですが、その不自由期間、人様に迷惑をかけるのはなあという逡巡もあって、タイピング稽古の機会を逃しています。
イシスのロールがお休みの期間を狙って練習する以外に、解決の方途はないのでしょうか。

 

サッショー・ミヤコがお応えします

「型」を使おうと使うまいと、一度に押せるキーは原則1個(シフト+とかオプションシフト+は例外として)です。間寅辰さんの長文なお悩みは、「ブラインドタッチへのあこがれ」「肩こりからの脱却」を願う気持ちと「練習中のスローな期間が耐えられない」「その間、人様に迷惑をかけられない」という気持ちのダブルバインドなわけですが、練習すればできるのがわかっているのに「しない」のは「今のままでも不自由してない」からでもありますよね。つまり、この長い長い悩みって、「人様」「イシスのロール」云々をマスクしてみると、「もっとカッコよくなりたい」という前向きさと「もっとカッコ悪くなるかも」という後ろ向きな恐れで、アクセルとブレーキを同時に踏んでるようです。あちゃー。

でも、三本指奏法、かっこいいじゃないですか。きっとこれからのトレンドになりますよ。えっ、口先だけの慰めにしか聞こえませんか? では、もう一つ。キーボードの配置は英文入力用に配置されているので、ブラインドタッチで日本語をローマ字入力していると、左手よりも右手がだいぶ疲れることになっています。だって、左側に「えあ」右側に「うおい」がありますからね。さらにマウスを右手で操作する右利きの人は、どうしたって右肩がバリバリになることになっているのです。つまり、タイピングの型を覚えれば肩こりが解消されるというのは、誤解です。

 

千悩千冊0021夜
フランソワ・ヌーデルマン、橘明美訳
『ピアノを弾く哲学者 サルトル、ニーチェ、バルト』(太田出版)

 

同じキーボードで悩むなら、ピアノを練習されることを心よりお勧めします。本書は千夜千冊(1597夜)もされましたが、ピアノというのは「白か黒か」そのものなので、ミスタッチがタイプミスどころでない痛みを与えてくれます。弾き直しの連続が教えてくれるのが、「アリュール」(様子、物腰、振る舞い、行動、態度、速さ、歩調など)ではないかと思うぐらいです。音色、リズム、タッチを知ることは、イシスのさまざまなロールにも新しい響きを付け加えてくれるはずですよ。
…と書いてきて、もし間寅辰さんがすでに熟達したピアニストだったらどうしようという疑問も浮かんできましたが…その場合は『グラモフォン・フィルム・タイプライター』フリードリヒ・キットラー/ちくま文庫(上下)を読んでタイピングにいそしまれることを願います。

「遊ぶなら老荘俳諧。迷ったときの禅とバロック」。手も足も出さないか、バッハを弾きこなすか、ってことですね。

◉井ノ上シーザー DUST EYE
やはり、「肩こり我慢して今のタッチのまま」か、「面倒な訓練を我慢してブラインドタッチを習得」か、どちらかでいくか腹をくくるだけではないのでしょうか。

 

「千悩千冊」では、みなさまのご相談を受け付け中です。「性別、年代、ご職業、ペンネーム」を添えて、以下のリンクまでお寄せください。

 

  • 井ノ上シーザー

    編集的先達:グレゴリー・ベイトソン。湿度120%のDUSTライター。どんな些細なネタも、シーザーの熱視線で下世話なゴシップに仕立て上げる力量の持主。イシスの異端者もいまや未知奥連若頭、守番匠を担う。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。