輪読座、4月25日から「柳田国男を読む」開座間近!

2021/04/09(金)23:05
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 世阿弥、白川静に続く今期の輪読座、4月26日より開座する日本哲学シリーズは「柳田国男を読む」に決まった。古事記・日本書紀、万葉集にはじまり、聖徳太子、空海、閑吟集、三浦梅園、西田幾太郎、折口信夫、井筒俊彦、南方熊楠などの難読といわれる日本の古典を輪読読破してきた輪読座がいよいよ「日本民俗学の祖」とも言える柳田国男に取り組む。
 
 柳田国男といえば、20世紀の日本文明・日本文化に立脚した国家をいかに継続させ、発展させうるかを思索した民俗学者であることはよく知られているだろう。もう一つの顔が、現代人が忘れがちな「日本」を考えつづけた農務官僚にして、稀有な文化政策官僚。輪読師であるバジラ高橋は「柳田国男の近代国家構想には21世紀に実現していかなくてはならない政策も数多くあり、いま柳田國男を輪読することは、日本の命運を把握し、20世紀を反省材料としてを生きる思索の基盤をしっかり据えることになる」と語る。
 
 無知歓迎、予習禁止、誤読上等、疑義即応、宿題必須の輪読座。柳田国男を読んだことがない人も、柳田の全体像を捉えきれていないという人にもうってつけの機会となるだろう。輪読座は、バジラ高橋による図像解説に始まり、全員参加の輪読、個人での図像ワークと発表で構成される。2020年のコロナ禍以来、リモート開催となる輪読座ではライブでのインタラクティビティと映像、資料の共有でさらなる充実を遂げ、遠隔地の居住者や予定が組みにくい人にも参加しやすい形になっている。輪読座 日本哲学シリーズ「柳田國男を読む」の詳細はこちらから確認されたい。https://es.isis.ne.jp/course/rindokuza
 
 なお、受講申し込み者には第一講開始時に、バジラ高橋による柳田国男の全生涯と思想を解説した30ページ近くに及ぶPDF資料が提供されることになっている。その目次は以下の通り。こちらも乞うご期待である。
 
(1)柳田国男の方法=新たなる国学
(2)幕藩体制の村落共同体が迎えた明治維新
(3)土地私有制への移行と地租改正一揆から日本型ジェンダーの発生へ
(4)明治期の農村を支えた報徳運動
(5)二宮尊親の北海道開拓と金融システムを備えた報徳社
(6)柳田国男の挑戦開始と新渡戸稲造の帰国
(7)新渡戸稲造、農村文化復興をめざし、柳田国男、中農養成策を出す
(8)柳田の全国行脚と「山人」の発見
(9)明治43年の大日本帝国変動と柳田国男の挑戦開始
(10)柳田国男と南方熊楠の交遊
(11)「郷土研究」とルーラル・エコノミー
(12)「第一次世界大戦と高木敏雄・南方熊楠・折口信夫との別れ
(13)「一国民俗学」の真意とジュネーヴの柳田国男
(14)柳田国男、帰国してラムステッドに学び、日本語問題に取り組む
(15)柳田国男、民間から「日本民族学」を立ち上げる
(16)大日本帝国の農村を維持した「日本民俗学会」と日本国の日本民俗学のアカデミズム化
  • 吉村堅樹

    僧侶で神父。塾講師でスナックホスト。ガードマンで映画助監督。介護ヘルパーでゲームデバッガー。節操ない転職の果て辿り着いた編集学校。揺らぐことないイシス愛が買われて、2012年から林頭に。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。