春爛漫、師範代が羽ばたくために8時間 47[守]46[破]伝習座開催

2021/04/04(日)11:08
img POSTedit

入学の春がきた。教える立場にこそ、春はまぶしい。10冊の本をひょいと抱えた10名の新任師範代が、ぞくぞくとZoom会場に現れる。東京・豪徳寺ISIS館には、22枚のオリジナルフライヤーが誇らしげに胸を張る。その一人ひとりを、師範たちがペンを片手に待ち受ける。

▲1階本楼から2階学林堂へ誘うように貼られた、師範代作の教室名ポスター。

 

2021年3月27日、イシス編集学校では第47期[守]・46期[破]の開講に先立って「伝習座」が開催された。伝習座とは、師範や師範代が集い、編集術の指導を研鑽する場である。これまでは多いときで50名以上の指導陣が豪徳寺に集結。師範による編集工学レクチャーにはじまり千夜千冊の共読、そして松岡正剛による奥義直伝など、昼前から終電間際まで熱烈に知を交わし合っていた。


しかし、緊急事態宣言下の2020年4月から、オンラインでの相互配信に切り替わり、さらに密度の高いコンテンツが提供されることとなった。20年前の開校以来、連綿と続けられているこの奥義伝授は、各期、開講前と開講中に2回ずつ開催され、今回で157回目を数える。この日は、ISIS館1階本楼で[守]、2階学林堂では[破]のプログラムがパラレルに進行された。

 

この学校は、毎期ごっそりと指導陣が入れ替わる。生徒とともに教師までが、卒業しては入学してくる学校がほかにあるだろうか。今期47[守]も、編集コーチ養成コース「花伝所」を放伝したばかりの新生師範代13名が名乗りをあげた。前期の学衆が、今期の師範代。そして、師範があらためて学び手にもなる。この著しい新陳代謝こそが、20年間進化をしつづけるイシスの要である。

 

▲校長の墨がにじむ。学林堂からは満開の桜をのぞむ。

 

指導陣が陳腐化せず、それでいて確かな実力を備えているのはなぜなのか。その秘密を握るのが、先達の方法を後進に託すこの伝習座なのだ。この名は校長松岡によるもので、『論語』の「伝不習乎(伝へて習はざるか)」に由来する。(参考:996夜『王陽明』) 漢字の「伝」は、ふくろに入れたものを人が背負うさまを指し、「習」とは鳥がぱたぱたと羽ばたく様子だという。

 

この日も、黒板を使い、刀を振り、ジャコメッティになりかわりながら、何十冊分かの言の葉が手渡された。師範代が大空へ飛び立つ日は近い。

 

 

▼この日の伝習座の模様

イシスのマル秘テク「共読」とは何か うるさい読書で千夜に挑む 46[破]伝習座

https://edist.isis.ne.jp/post/46ha_ecrits/

 

『情報の歴史21』編集長が年表レクチャー コツは「Qちゃんとヤワラちゃん」

https://edist.isis.ne.jp/post/jyoreki21_qchan/

 

▲学内イベントのしつらえにも全力編集。これらタイトルイメージは、編工研デザイナー穂積晴明によるもの。テーマは、編集の4段階目「情報の構造化」。平面デザインで情報を階層化するため、パースやレイヤーの実験を散りばめている。色味は、アレクサンドロ・ロトチェンコやエル・リシツキーなどロシア・アヴァンギャルドのデザイナーへのオマージュ。

 

画像:穂積晴明

写真:後藤由加里(フライヤー)

写真:梅澤奈央(伝習座の書)

  • 梅澤奈央

    編集的先達:平松洋子。ライティングよし、コミュニケーションよし、そして勇み足気味の突破力よし。イシスでも一二を争う負けん気の強さとしつこさで、講座のプロセスをメディア化するという開校以来20年手つかずだった難行を果たす。校長松岡正剛に「イシス初のジャーナリスト」と評された。
    イシス編集学校メルマガ「編集ウメ子」配信中。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。