「無鄰菴」よりオープニング架空中継【75感門 京都】

2021/03/14(日)21:26
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 はい、こちらは46[守]卒門式の京都会場。京都市にある「南禅寺無鄰菴(むりんあん)」です。狭い玄関を入ると、あけ放たれた部屋越しに広い庭園が広がっています。明治の政治家、山縣有朋の別荘として建てられたもので、日露開戦前夜には伊藤博文と日本の方針をここで立てたという由緒ある建物です。昨年8月には、はんなり三人娘による京都エディットツアーの会場としても使われました。

 

 京都は強い雨が降っていたのですが、出迎えてくれた担当者によると、「植物が映えるからと、山縣は雨を好んだといいます」と話していたので、雨はよかったのかもしれません。

 

 この「無鄰菴」で感門を迎えるのは、かりぐらジョジョ教室・三谷和弘師範代、大阪カルダモン教室・大嶋恒徳師範代の2人の師範代です。大嶋師範代はカメラマンとしても庭園の様子を伝えてくれています。本も並べていますよ。三谷師範代は後ろで手を振って盛り上げてくれています。この3人で京都から雅にお届けしますね。

2階の部屋から見た庭園

 

 

 …通信トラブルで中途で終わりましたが、これが感門之盟オープニングで伝えたかったことでした。師範代2人の笑顔と、庭園の様子、ぜひ共読してください!

 

庭園をバックに、大嶋師範代(左)と三谷師範代

  • 景山和浩

    編集的先達:井上ひさし。日刊スポーツ記者。用意と卒意、機をみた絶妙の助言、安定した活動は師範の師範として手本になっている。その柔和な性格から決して怒らない師範とも言われる。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。