千悩千冊0014夜★「超音波治療機を購入すべきか悩んでいます」50代男性より

2021/02/22(月)10:20
img CASTedit

Katz Sakoさん(50代男性)のご相談:
老眼に乱視が進行して困っています。スタイリッシュな老眼鏡を松岡チックにかけるのは編集学校らしいと思い、6万円もする老眼鏡を購入しました。その上、スピフェスで話題の超音波で治療する機械が気になっていますが、7万円もします。「こんなんで治るんか?」と自問自答を繰り返す日々です。

 

サッショー・ミヤコがお応えします

老眼+乱視のKatz博士には、ぜひ999円のピンホールメガネをかけて豪徳寺本楼の催しにお出ましいただきたいものです。類似品は100均ショップでも扱っていますが、写真のグラスの製造元Taiitiは「太一」にもつながるので、きっと効果が高いと思います。何よりデザインが、Katz博士の美貌を引き立てるに違いありません。
というわけで、40代以降のだれにでもやってくるはずの老眼(+乱視)のほかにお悩みなく、唯一のピンホール的なお悩みに大枚6万円(サッショーの食費3ヶ月分)では足りず、まだ7万円もはたこうという日々を思いやると、「平穏無事」の4字熟語が浮かぶのみです。

 

千悩千冊0014夜

今福龍太

『宮沢賢治 デクノボーの叡智』(新潮選書)

 

 

「デクノボー」は、「雨ニモ負ケズ」の終わり近くに、ひょいと顔を出します。小学生の頃このフレーズまできて、はぐらかされた優等生もきっと多いですよね。雨にも負けず風にも負けない精勤さは日本の小学校の奨励するところですが、「デクノボー」と呼ばれる人になれ、というような洒落っ気や哲学は文科省からもその前身の文部省からも微塵も感じられません。
それはただ単に「みんなに認められなくてもがんばろー」的な<どんでん>ではなく、無名への賛歌でもあれば、地湧菩薩への意思でもあり、シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』にも井上有一の書にも、モリスの「ユートピアだより」にもベンヤミンの「木偶」にも通じていきます。
宮沢賢治やウィリアム・モリスやH.D.ソローのように、2020年を超えたわたしたちは「芸術としての労働」に向かうべきなのでしょう。その旗振り役は、老眼+進行する乱視にピンホール・グラスで立ち向かうKatzさん、あなたしかいませんです!

 

◎井ノ上シーザー DUSTEYE
Katz Sakoさん、こんにちは。ユー・エフ・オーとの交流は、その後いかがでしょうか?ご相談を拝見していると、熱湯風呂の縁で四つんばいになり「押すなよ」と叫んでいる芸人のように見受けられました。遠慮なく7万円の器具をご購入して、その効果のほどをお知らせください。ついでに宇宙人と交流できたら、とてもうれしいですね。

 

「千悩千冊」では、みなさまのご相談を受け付け中です。「性別、年代、ご職業、ペンネーム」を添えて、以下のリンクまでお寄せください。

 

  • 井ノ上シーザー

    編集的先達:グレゴリー・ベイトソン。湿度120%のDUSTライター。どんな些細なネタも、シーザーの熱視線で下世話なゴシップに仕立て上げる力量の持主。イシスの異端者もいまや未知奥連若頭、守番匠を担う。

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。