丹波の上田氏と神戸のエディが越境する

2021/01/21(木)10:04
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「わたしは玉ねぎだ。むいてもむいても型が崩れない。使い勝手も効用もよい。甘みもあるが泣かすこともある」。

 

厳寒の2020年1月17日、オンライン汁講での自己紹介コーナーでの上田正三さん(46[守]かりぐらジョジョ教室学衆の)の発言であった。
「上田さん、いやいや、すごいです」。この玉ねぎメタファーは、[守]学匠の鈴木康代をも感嘆させた。

 

上田さんは、現住所の神戸と本籍地の丹波を往来する生活を送っている。神戸・西宮界隈では乱読と飲み歩きの日々を送り、“エディ上田”としてライブハウスでカントリーミュージックを歌いもする。趣味人、気ままな都会人という羨ましいプロフィールを見せるが、その眼光は鋭い。

 

▲ライブハウス壇上の“エディ”上田さん

 

他方、両親から引き継いだ丹波の旧家を改修し、地域興しの拠点としている。晴好雨奇な田園風景を背景とした庄屋屋敷では、伝統工芸品の展示会を実施するし、気鋭のアーティストの住まいともしている。編集を学び始めたのも、丹波での取り組みに生かすためだという。

 

▲“エディハウス”こと、丹波の棚原本上田邸

 

儘に生きる趣味人であるし、受け継ぐものがある亭主でもある。玉ねぎのように甘くもあり、人を泣かすこともある。様々なものを背負って、一筋縄ではいかないエディ上田さんは、コロナ禍の時代にイシスの門をたたき、喜寿をむかえた今でも越境を続けている。その様子は一見すると、絶えず大岩を山頂に持ち上げているシーシュポスと似ているようで、正反対だ。

  • 井ノ上シーザー

    編集的先達:グレゴリー・ベイトソン。湿度120%のDUSTライター。どんな些細なネタも、シーザーの熱視線で下世話なゴシップに仕立て上げる力量の持主。イシスの異端者もいまや未知奥連若頭、守番匠を担う。

コメント

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山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。