松岡正剛、初詣と3つのヒント 10shot

2021/01/10(日)14:05 img
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 2021年の10shotは初詣からはじめます。

 「あけましておめでとうございます」1月5日 11:00AM 寒空の下、新年の挨拶を交わす。一行が向かうのは吉田松陰が眠る松陰神社。

 

豪徳寺から世田谷線に乗り、山下駅から4駅目の松陰神社前駅で下車。懐かしい風情のある商店街を抜けて徒歩5分。三が日も過ぎ、コロナの状況も合間って参拝客は落ち着いている。

 

参拝後は境内散策へ。境内にある松下村塾(模造)にはこのような言葉が掲げられている。

「万巻の書を読むに非ざるよりは、寧んぞ千秋の人たるを得ん。」(多くの書物を読まずに、どうして将来語り継がれるような人になり得るだろうか)

立ち止まる各々、しっとりと言葉を読み込む。

 

 

小一時間ほどで初詣を終え、街歩きをしながら豪徳寺へ。[破]では「5つのカメラ」という文体編集術の稽古があるが、松岡校長のカメラは常時オンである。

「かわいらしい街だね」好奇心は尽きることなく、《注意のカーソル》が捉えたものに接近することを躊躇うことがない。本も街もいっしょ。マーキングしながら読む。

 

 

1:00PM ゴートクジISIS館に戻りスタッフ一同、一冊の本を介して新年に向けての思いを語り合う。

 

『ロビンソン・クルーソー』ダニエル・デフォー(中公文庫)

吉村堅樹林頭

ロビンソン・クルーソーは、お父さんにちゃんと真面目に働きなさいと言われていたにもかかわらず、船乗りになって冒険に行ってしまう。好奇心の奴隷のようで自分自身とも重なるところがある。差し当たったところで編集をしていたロビンソン。今年の上半期はメディエーションを大きな地にしながら差し掛かったところで編集を加速させていきたい。

関連千夜:1173夜『モル・フランダース』ダニエル・デフォー

 

『存在の大いなる連鎖』アーサー・O.ラブジョイ(ちくま学芸文庫)

安藤昭子専務

千夜千冊の中に「漠然としたものは影響力を持たないと思われている。それは間違いである。漠然としたものこそが思考を加速させる」と書いてある。世の中全体にある”わかりやすさ病”にどう対峙するか。自分で何かを持たないとダメだなと思って読み始めた。観念やイメージこそがいろいろなものに先行しているとラブジョイは言っている。問題意識を持って読むと本当に面白い。

関連千夜:637夜『存在の大いなる連鎖』アーサー・O・ラブジョイ

 

『ディスタンクシオンI・II』ピエール・ブルデュー(藤原書店)

太田香保総匠

ハビトゥスとは階級によって規定されてしまった好み。フランスでは階級や構造によってえぐられているからこそ、そこから越境しないと自分のハビトゥスを掴めない。ブルデューは自らのハビトゥスをどう守るか提唱していると思う。しかし、日本ははっきりとした階級意識がなく、同質性がすぐ繋がってしまう中では自分の好みが何の規制によって、えぐられ、形作られ、自分はどこを越境すれば自分のハビトゥスを掴めるのかわかりづらいのではないか。

関連千夜:1115夜『資本主義のハビトゥス』ピエール・ブルデュー

 

 

 「セイゴオ知文術」さながら自分と著者と本を繋いで語り、それぞれの抱負や関心を分かち合う。全員の発表を受け、最後に「仕事やプロジェクトの作り方、発想、企画力、ポイエーシス全てに関わること」として松岡校長から3つのヒントが手渡された。

 

 

【1】組み合わせる

組み合わせるとは、

A)自分が知っている組み合わせを総動員すること

B)誰かが別の組み合わせをしているかもしれないと思うこと

C)誰もまだしていない組み合わせに挑むこと

組み合わせは連想でもある。組み合わせることで次の連想を産まないとダメ。自分が集めたものだけにこだわらない。

 

【2】毒にも薬にもする

毒と薬は同じもので作れる。ある言葉を毒にしたり、薬にできる別れ道に差し掛かってみる。言葉というのが毒や薬になるのはどういうものなのか、ずっと作ってきたことが編集の一助となった。毒づくのは簡単、本当に薬になるものを作る。

 

【3】ゲームにする

ゲームには始まりがあって、終わりがある。これを明確に自分の中にセットし、プロジェクトにする。始まりと終わりをもっと強くすれば中はうんと光る。

 

 スタッフ一同ペンを走らせ、言葉を書き留めながら、新しい一年に向けて気持ちを作っていく。持ち寄った本と3つのヒントとともに2021年というゲームがスタートした。

 

松陰神社にて(写真:小森康仁)

  • 後藤由加里

    編集的先達:石内都
    NARASIA、DONDENといったプロジェクト、イシスでは師範に感門司会と多岐に渡って活躍する編集プレイヤー。フレディー・マーキュリーを愛し、編集学校のグレタ・ガルボを目指す。倶楽部撮家として、ISIS編集学校Instagram(@isis_editschool)更新中!

コメント

1~3件/3件

山田細香

2025-06-10

 この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
 建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

山田細香

2025-06-10

 藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。

堀江純一

2025-06-06

音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。