この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

金: いやぁ、ユニークなエディストを象徴するようなゲストたちでしたね。
吉村: 2021年のエディストは、皆さんともっといろいろできそうだし、楽しみですね。編集部のメンバーは、2021年はエディストをどんな風に編集していきたいですか?
松原: 連載やコラムが充実して味のあるメディアになってきていると思って、皆さんとつくっている感覚がうれしいです。2021年は、エディストの“ニュース・メディア”としての意味合いが、もっとタイムリーなJust記事で盛り上げられるといいな。突破者の方などでエディストやってみたい方がいたら、Just記事を書くチームでご一緒できたらどうでしょうか。
吉村: そうねぇ。そうはいっても、Just記事って意外にテクニックがいるんですよ。たとえば、“出発のレトリック”。どこに着目してどう始めるか。多くの人はいま違和感に気が付けない。ビジネスマンも学生も違和感を感じないように訓練されてきてしまっているんですよね。そうではなく、普通じゃないことに気が付かないといけないんです。注意のカーソルを意外なことに向けてそこを取り出す。そうしないと、全体をフラットに書く、ベターっとしたのっぺりした記事になってしまいます。
松原: なるほど。着眼点を磨くハードルは高そうですが、そういうことも学んで編集力をあげていく場が、エディストと連動して、デュアルで動き出すようなことがあるといいなぁ。
後藤: 私は、新しいスタイルをもっと見たいなと思っています。編集学校との関わり方がたくさんあるということが、そのままメディエーションとなる。方法の学校ですから、最初からスタイルを打ち出すというより、「遊刊エディスト」というメディアに乗せることでスタイルができてくるプロセスを見たいです。あと、たくさんの顔をもっと出したいですね。「20周年師範代リレー」や「イシスのイシツ」の記事を通して、より思うようになりました。個人的には写真記事をもっと実験したいです。
「20周年師範代リレー」第1期から第45期までの師範代を追いかけて編集学校クロニクルも展いていく
上杉: たくさんの顔が出るエディスト、いいですね。私は、人や活動をつなぐ場としてのエディストという側面がさらに広がっていってほしいと思っています。ご一緒するエディストライターがこの1年で増えただけでなく、ライター間でのやりとりも出てきていて、その対話から新たな記事や企画も生まれました。2020年は20周年感門之盟や全国のエディットツアースペシャルなど、今まで一部の参加者だけに閉じられていた活動が速報され、アーカイブされることをきっかけに、新しい活動や関係が生まれる場面もありました。こうした一方的な発信に留まらないエディストの可能性に向かっていけたら嬉しいです。
エディットツアーは地域色を活かしながら全国各地からオンラインで開催
金: まさにインタースコアするエディストのイメージですね。僕は、エディストライターの方からやりたいといって始まる企画も出てきてだいぶ充実してきていると思うんです。ただ、まだ今日アップする記事が枯渇することもあるし、松原さんと重なりますが、Just記事がなかなか出ないこともあって。もっと多くの人がライターやエディターとして関われるよう、フォーマットを考えてみたいですね。今までチャレンジして書けなかった人も書けるようになってほしいし、講座からの情報がもっと出てくるように、カバーしていきたいというのがひとつ。それから、動画、音声、ラジオなど、文字以外のスタイルも新しくやっていきたい。今日は大音冊匠が多読ジムももっとできるねとお話してくださったんですが、多読ジムはもっとエディストと連動できると思っています。力量はあるのに活躍できていない人がまだ大勢いるので、そういう人がもっとエディストに出てきてくれるようにしたいなと。
吉村: 金君が、一人ひとりがエディストでの記事やコラムを本にするぐらいの気持ちで書こうって言ってくれていたけど、実際にエディストから本になる動きが出てくると思う。
金: そうですね、それがもう少し先の、次の次の年かなあ。堀江さんの「マンガのスコア」はぜひやりたいと思いますし、本や他のメディアとの入れ子状態になっていったらすごいですね。
松原: いいですね。堀江さんのお話もラジオで聞きたい気がしましたけれど。
吉村: 堀江さん、話も味がありますね。意外に僕が言ったことで凹んでいたとはね。
金: けっこうため込んでたなぁ。話してもらえてよかったです、でもこれでも話したりないんだろうな(笑)
吉村: 私はエディストが始まってもう1年ちょっと経ちますので、次の新しい展開を考えたいと思っています。エディストがこれからの編集学校や編集的社会像のベースキャンプになっていくことを確信しています。今年はここを新たなものが生まれる場にしていきたい。去年はグッズをつくることが生まれましたが、派生サービスがでてきたり、スピンアウトしたプロジェクトができたり、エディストの見せ方のバリエーションも考えたい。深谷花目付のラジオエディストは呼水になると思います。それから今年中にはエディストにアップされる記事を3倍から5倍にしたいですね。
川野: 僕の場合は、角山さんの連載が始まったのが僕の中ではかなり大きくて。週刊連載って初めて担当なんですね。裏方として、表に立つ人をずっと支えるというのを、初めて本格的にやっている気がするんです。そういう意味で、エディストとしてやっと一人前になれればなと思っています。もう一人、二人、勢いのある連載者を育てていきたいですね。
おわり
2021年の「遊刊エディスト」もどうぞよろしくお願いいたします。今年が皆様にとって素晴らしい1年でありますように。
2021新春放談企画「エディスト・フェーズがついにきた!」
其の伍 -編集的可能性の苗代へ
エディスト編集部
編集的先達:松岡正剛
「あいだのコミュニケーター」松原朋子、「進化するMr.オネスティ」上杉公志、「職人肌のレモンガール」梅澤奈央、「レディ・フォト&スーパーマネジャー」後藤由加里、「国語するイシスの至宝」川野貴志、「天性のメディアスター」金宗代副編集長、「諧謔と変節の必殺仕掛人」吉村堅樹編集長。エディスト編集部七人組の顔ぶれ。
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2025-06-10
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2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。