この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。

ガラス張りの会議室を占める半円形のテーブルは参加者とスタッフでぎっしりと埋まった。廊下側から足を止めて、壁に貼られたエディットツアーのチラシを眺める人が何人も通り過ぎる。
そこは森の都。定禅寺通りのけやき並木の緑が室内からも目に入る複合文化施設せんだいメディアテークの2階だ。仙台のみならず宮城県内の女川や隣の福島、そして東京から老若男女12名が集まった。
華やかなワンピースに下駄の足元、後ろ姿は十人十色。一見して何の集まりなのかまったく分からない。机の上のノートの取り方も文字も図解ももちろん違う。それぞれの頭の中のブラックボックスが可視化していく。個人の方法に光をあてる2時間半となった。
情報の地を動かすことで、図としての仙台を言い換えるワークでは、ある参加者が「羽生結弦ファンを地にすれば、仙台が聖地になる」と回答。ナビゲーターの吉村林頭と参加者たちは「なるほど!」と膝を打つ。編集が決まるとコミュニケーションが加速する。
編集思考素を使って、仙台を3つの情報で伝えるワークでは、近くに座る参加者同士がグループとなって発表する。「すずめ踊り・ジャズフェスティバル・光のページェント」という3つの街のイベントを挙げたグループには、「『舞・音・光』と一文字に揃えて言い換えるだけでより魅力的になります」と林頭がすかさず指南。情報を着替える編集術の効果を目の当たりにした。
回答が重なっていくにつれて、他の参加者の発想を楽しむカマエが備わり、それぞれの発言がよりいきいきとして、場の求心力が高まっていった。けやき並木の木漏れ日が傾き、オレンジ色に変わってきた頃、惜しまれつつもタイムオーバー。
情報が本来持っているものを引き出す方法を手に参加者たちは帰路につく。お見送りのあと、林頭や未知奥連弦主の森由佳はじめスタッフたちは、いそいそとタクシーに乗り込み、夜の国分町でおつかれ乾杯慰労会。
林 愛
編集的先達:山田詠美。日本語教師として香港に滞在経験もあるエディストライター。いまは主婦として、1歳の娘を編集工学的に観察することが日課になっている。千離衆、未知奥連所属。
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2025-06-10
この日、セイゴオはどこから私達を見つめてくれていただろう。活け花の隙間、本楼の桟敷、編工研の屋根の上、地上15m付近の鳥の背中。低い所か、高い所か、感じ方は人それぞれだろうけど、霊魂がどこに遍在しているかを考えることと、建築物の高さは深く関係している。
建築家・藤森照信はいろんな高さに茶室を造ってきた。山から伐り出した栗の木を柱にした《高過庵》の躙口は地上6m。その隣には地面に埋まった竪穴式の《低過庵》がある。この「高過ぎ」「低過ぎ」と言えるその基準は何なのか。
2025-06-10
藤森は人間の生と死のプロセスをノートに書きつけ、霊がどこに行くかをずっと考えてきた。そして人間が死ぬ場所としてドンピシャの高さを見つけ出している。それが檜の1本柱の上に建つ地上4mの《徹》だ。春になると満開の桜の中に茶室が浮かび上がる。桜は死を連想させる。この高さの絶妙さを目の当たりにすると、美しさだけでなく恐怖さえも感じてしまうのだ。
2025-06-06
音夜會の予習には『愛は愛とて何になる』(小学館)が是非ともおススメ。松岡校長も寄稿しています。
さらに、あがた森魚さんの映画監督第一作「僕は天使ぢゃないよ」は、なかなかの怪作なのでご興味のある方は是非どうぞ。
監督・脚本・主演・歌唱あがた森魚で、他にも横尾忠則、大瀧詠一、緑魔子、桃井かおり、山本コウタロー、泉谷しげる、鈴木慶一などなど無駄に豪華キャストなのに、なぜかヒロイン役が一般人(たぶん...)で、びっくりするほどのセリフ棒読み。さすがにこれはダメだろうと思いながら観ているうちに、だんだんこの子がいい感じに見えてくるから不思議。あがたさんの「愛の理想形」を結晶化させたような作品です。